金堂

『薬師寺縁起』によると、平城遷都に伴い創建された金堂は「瑪瑙めのうを以て鬘石かつらいしと為し、瑠璃を以て地と為しこれを敷く。黄金を以て縄と為し道をさかいす」ときらびやかに荘厳されていたようです。 『今昔物語集』によると薬師寺金堂には僧侶であっても入堂が許されず、特別なお堂だったことを伝えています。金堂は、室町時代に大風で破損し修理を重ねましたが、享禄の兵火(1528)により焼失してしまいました。 その後、郡山城主増田長盛公により仮金堂が建てられたものの、当初の二層の金堂を復興することはできませんでした。
昭和43年(1968)から始まった「百万巻お写経勧進による薬師寺金堂復興」により、仮金堂は解体され、昭和51年(1976)現在の金堂が再建されました。上層には、お写経が納められた納経蔵があります。

金堂の仏像 薬師三尊像【国宝】白鳳時代

薬師寺創建当初より金堂にお祀られている薬師寺のご本尊です。 『日本書紀』によると697年7月29日に開眼法要が行われたと考えられ、白鳳時代を代表する金銅仏です。中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光がっこう菩薩が安置されます。 金堂は享禄の兵火により焼失しましたが、薬師三尊は光背を焼失するも、お像は当初の造形をのこしています。

薬師如来【国宝】
薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来といい、東方に位置する浄瑠璃浄土の教主です。藥師如来は人びとの病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくださる仏様として信仰を集めています。
薬師寺の薬師如来は、像高254.7㎝、いわゆる丈六像の大きさを誇ります。手には水掻きのような曼網相まんもうそう、法輪の模様の千輻輪文せんぷくりんもんが、胸の中央には卍文様、足には千輻輪文や双魚文などの文様が線刻されています。 これは『観仏三昧海経』などに説かれる如来の特徴を表現しています。古代の金銅彫刻でここまで繊細に表現された仏像は希有であり、天武天皇・持統天皇の思いを現代に伝えてくださいます。造立当初は、 鍍金が施され金色(こんじき)に輝いていましたが、現在は一部をのぞいて漆黒の姿になっておられます。

日光菩薩【国宝】
月光菩薩【国宝】
薬師如来の左右に立つ日光菩薩、月光菩薩は、太陽や月の光が差別なく照らすように人びとを見守る仏様です。 本尊薬師如来よりも肉付きは控えめですが、腰のくびれや三曲法と呼ばれる流れるような姿勢は美しく、手を合わせる人びとを魅了します。花の装飾をデザインした宝冠や胸元の瓔珞ようらくには、ガラスが嵌められてたと考えられています。 現在は失われていますが、古代の技術の高さと当時の荘厳なお姿が偲ばれます。

金堂の仏像薬師如来台座【国宝】白鳳時代

薬師如来の座る宣字形せんじがた台座は、類例を見ない意匠を凝らしたものとして有名です。かまちにはギリシャ由来の葡萄唐草文様ぶどうからくさもんよう、ペルシャの蓮華文様が描かれます。 中段には四面に6つの窓があり、窓の中から裸形の力神(蕃人ばんじん)がのぞきます。また南北面の中段には堅牢地神けんろうぢしんが描かれ、柱状の須弥山しゅみせんとその上に座る薬師如来を支えています。 下框には四方に中国の霊獣である四神(東=青龍・南=朱雀・西=白虎・北=玄武)が表現されています。特に翼を大きく広げた朱雀、胴長に描かれた白虎、丸く円をかたどる玄武の姿は、高松塚古墳やキトラ古墳の装飾壁画とも類似しており、 白鳳時代の文化を今に伝えています。

金堂の仏像 吉祥天女画像【国宝】天平時代

吉祥天女は、仏教を守護し、五穀や財宝などを与えて私たちに幸福をもたらす美しい女神です。奈良時代には吉祥天女の功徳を説く『金光明最勝王経』が厚く信仰され、お正月に行われる修正会の本尊として吉祥天女が多く造像されました。 薬師寺に伝わる吉祥天女画像は、薬師寺の修正会の本尊として描かれた最古の画像で、また麻布に彩色を施した独立の画像としても日本最古のお姿です。現在は、お正月三ヶ日のみご参拝いただいております。

1月1日~3日は国宝・吉祥天女画像
1月4日~15日は平成本・吉祥天画像をお祀りします。