- 金堂
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『薬師寺縁起』によると、平城遷都に伴い創建された金堂は「
瑪瑙 を以て鬘石 と為し、瑠璃を以て地と為しこれを敷く。黄金を以て縄と為し道を堺 す」ときらびやかに荘厳されていたようです。 『今昔物語集』によると薬師寺金堂には僧侶であっても入堂が許されず、特別なお堂だったことを伝えています。金堂は、室町時代に大風で破損し修理を重ねましたが、享禄の兵火(1528)により焼失してしまいました。 その後、郡山城主増田長盛公により仮金堂が建てられたものの、当初の二層の金堂を復興することはできませんでした。
昭和43年(1968)から始まった「百万巻お写経勧進による薬師寺金堂復興」により、仮金堂は解体され、昭和51年(1976)現在の金堂が再建されました。上層には、お写経が納められた納経蔵があります。
- 金堂の仏像薬師如来台座【国宝】白鳳時代
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薬師如来の座る
宣字形 台座は、類例を見ない意匠を凝らしたものとして有名です。框 にはギリシャ由来の葡萄唐草文様 、ペルシャの蓮華文様が描かれます。 中段には四面に6つの窓があり、窓の中から裸形の力神(蕃人 )がのぞきます。また南北面の中段には堅牢地神 が描かれ、柱状の須弥山 とその上に座る薬師如来を支えています。 下框には四方に中国の霊獣である四神(東=青龍・南=朱雀・西=白虎・北=玄武)が表現されています。特に翼を大きく広げた朱雀、胴長に描かれた白虎、丸く円をかたどる玄武の姿は、高松塚古墳やキトラ古墳の装飾壁画とも類似しており、 白鳳時代の文化を今に伝えています。