薬師寺の創建と平城京への遷寺

薬師寺は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。 710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。

伽藍の復興

薬師寺にとって失われた伽藍の復興は長年の悲願でした。
昭和43年(1968)、管主だった高田好胤和上は、「物で栄えて心で滅ぶ高度経済成長の時代だからこそ、精神性の伴った伽藍の復興を」と訴え、お写経勧進による白鳳伽藍復興を始めました。
一巻千円(当時)のご納経料をいただき、百万巻のお写経を勧進して金堂復興を目指しました。高田管長は全国を行脚し、お写経を通した「美しい心の再発見」を呼びかけ、昭和51年(1976)に目標の百万巻を達成し、金堂が落慶されました。

お写経勧進による白鳳伽藍復興は平成30年で50周年を迎えました。西塔さいとう、中門、回廊、大講堂、食堂じきどうと白鳳伽藍の主要な堂塔はおおよそ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。
薬師寺の伽藍復興は、まさに日本人の美しい心の結晶として行われました。白鳳時代の祈りと昭和、平成、令和の信仰を伝えることが薬師寺の次なる目標です。

1300年伝わる信仰の場所であり、いにしえの奈良を感じていただける地が薬師寺です。
心を癒やし、心を磨きに奈良薬師寺にお参りください。