辻々にお立ちになっているお地蔵様は「子どもの守り神」で、特に8月23日は子どもが喜ぶお菓子をお供えし地蔵盆の行事が行われます。
 浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、地獄道や餓鬼道へ堕ちるという信仰が強まり、地獄における責め苦からの救済をお地蔵様に願うようになりました。
 また鎌倉時代になると幼い子どもが親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず賽の河原で鬼のいじめに遭いながら永遠に石の塔婆作りを続けなければならないとされています。そこでお地蔵様は、賽の河原に率先して足を運んでは鬼から子ども達を守ってやり、佛法や経文を聞かせて徳を与え、成佛への道を開いてくださいます。
 お地蔵様は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人)を自らの足で行脚して、救われない衆生や、親より先に世を去った幼い子どもの魂を救って旅を続けておられます。
 そもそも地蔵菩薩とは、サンスクリット語でクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ  Ksiti gharbha)と言います。クシティは大地、ガルバは胎内・子宮の意味があります。大が全ての命を育む力をするように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み(菩薩●●)、救う所から名付けられました。
 お釈迦様の入滅後、56億7千万年後に弥勒如来が出現するまでの間、現世にお悟りを開いた佛様が不在(無佛)となってしまうため、お釈迦様は、賽の河原で衆生を救う役をお地蔵様に託されました。
 『地蔵菩薩本願功徳経』に「地蔵菩薩よ、吾は今忉利天とうりてんに在る 百千萬億の数え尽くす事のできぬ多くの諸佛諸菩薩天龍八部の大会の中で、天、人その他の衆生にして、未だ三界を出でず、火宅の苦を免れ得ぬ者を挙げて汝に付属する」とあります。
 お姿は、一般的には剃髪した声聞しょうもん比丘形びくぎょう(僧侶の姿)で白毫びゃくごうがあり、袈裟を身に纏っておられます。装身具は身に着けおられませんが、着けていても瓔珞ようらく(ネックレス)程度で、錫杖しゃくじょうや宝珠の他、蓮華、香炉、幢幡どうばん、数珠をお持ちになったり、合掌しているお姿もあります。左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ形か、左手に如意宝珠、右手は与願印よがんいん(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとるお姿が多くありますが、基本的には装身具を身に着けず、持物と呼称は必ずしも統一されていません。

 辻々にお立ちになっているお地蔵様に出逢ったら、オン カカ カビサンマエイ ソワカ とお唱え下さい。

合 掌



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