これは実際に起きたバスの車掌さんの勇気ある行動物語です。
 昭和22年9月1日、長崎県時津町にある打坂峠という勾配のきつい坂を一台の木炭バスが上って行きました。昭和22年と言えば終戦直後の事、当時は今のような快適で安全なバスではなく、車体の後ろに大きな釜を付け木炭を焚いて走る木炭バスでした。
 車掌さんの名前は、鬼塚道男さん。車掌さんと言っても朝一番に釜に火をおこし、バスが走る間は木炭をくべながらすすまみれになって火の番をする、それが彼の大切な仕事でした。
 その日の朝、総勢三十人を乗せたバスは、病院に向かう途中の被爆者や、買い出しに出掛ける人々で満員でした。ゆっくりと打坂峠を上っていた時でした。坂道のちょうど真ん中で突如エンジンの具合が悪くなり、ブレーキも壊れたのです。ブレーキだけでなくサイドブレーキまでも利かない。運転手さんと道男さんが何をどうやってもコントロールが不能という状態になってしまいました。勾配がきつくしかも曲がった坂だったため、コントロール不能のバスは、三十人を載せたままどんどん後退し始めました。故障にすぐに気付いた道男さんは、真っ先にバスから飛び降りて後退しながら徐々にスピードを増していく車を止める為、手に持てるだけの石ころや板などを次々に車の下に投げ込んでいました。しかし何を放り込んでもバスは全く止まりません。かなり大きな石を投げ込みましたが、スピードの付いたバスは石をあっという間に粉々に砕き散らしてさらに後退を続けていきました。運転手さんも何度も何度も車留めを操作しても一切効きません。もう後数メートルで客を乗せたまま崖から転落する、何でもいいから何か大きな物を車輪の下に放り込んで崖からの転落を防がないと全員が転落死してしまう、そう運転手さんも乗客も息をのんで迫りくる崖を凝視したその時でした。車掌の道男さんは何を投げ入れても効果がないと思った瞬間、とっさに自分自身が車留めになろうと身体を丸める様にして車輪の下に飛び込んだのでした。
 当時を知る人々の手記によると木炭バスは崖っぷちのギリギリの処で、道男さんの身体を巻き込んで止まっていたと言います。三十人の全員と運転手さんの命が助かりました。「お~い、人が後ろに巻き込まれているぞ」という乗客の声に驚いた運転手さんが見たのは、わだちの跡を身体に残した道男さんの丸まった姿でした。とっさに深く何かを考える余裕など無かった筈です。早く車を止めないと沢山の乗客の命が失われてしまう。そのことを道男さんが確信をもって実感した時、一瞬の判断で燃えるように回り続ける車輪の中に自らが飛び込むことに何の躊躇も有りませんでした。道男さんが絶命した時まだ21歳でした。
 私たちが生活している人の世には、身勝手な裏切りやエゴが常に充満しています。しかし、時に人間とは咄嗟にここまで無心になり、自他の境を飛び越えて行動ができる存在です。道男さんの行動に胸を打たれた人々によって打坂峠には、その後お地蔵様が建てられました。現代に蘇った菩薩様であると地元の人々は語り伝え、今も多くの子ども達が打坂峠を訪れて手を合わせていると聞いています。
 「菩薩とは、道を実践する人なり。」道男さんがその行動を通して見せて下さった凄まじい強さと慈愛の力は、時代を超えて私たちを導いて下さいます。

合 掌



「加藤朝胤管主の千文字説法」の感想をお手紙かFAXでお寄せください。
〒630-8563
奈良市西ノ京町457 FAX 0742-33-6004  薬師寺広報室 宛