佛教教団の有力な擁護者であるマカダ国の
「大王よ、悔過の心の在る人には、罪はもはや罪ではない。悔過の心の無い人には、罪は永久にその人を責めるのである。汝は既に悔過の人である。罪は清める事が出来、恐れる事は少しもいらぬ」。お釈迦様の教えを受けて阿闍世王は「私は世の中を見渡しますに、
お釈迦様は阿闍世王に「善き哉、善き哉。汝のその功徳をもって人々の煩悩を破り、悪心を除き得ることは、今私の見通している所である」。阿闍世王は「世尊、もし私が、人々の悪心を破る事が出来るならば、私は、無間地獄にあって測り知れない長い間、人々の為に大きな苦しみを受けても苦しいとは思いません」。
阿闍世王の言葉を聞いて、マカダ国の多くの人々は、忽ち大きな菩提心を起こしました。そして阿闍世王は、今迄に積み重ねた数々の罪を薄らげることが出来ました。『
日本では、皇極天皇元年(642)7月25日の条に、「大乗経典を転読し、佛の教えに従い、雨乞いの為に悔過す」と『日本書紀』に初めて悔過の所作が登場します。更に称徳天皇の神護景雲元年(767)正月8日の条に、「奈良の大寺や国分寺は悔過の法を行え。この功徳によって天下太平 風雨順調 五穀成熟 萬民快楽 福徳円満に潤うであろう」と『続日本紀』にあります。
東大寺の「お水取り」や、薬師寺の「花会式」は奈良時代から受け継がれている悔過法要の伝統行事です。
合 掌
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