最近の情報は、新聞やテレビだけではなく、インターネットなど様々な方法で伝えられ、溢れかえっています。正しい情報ばかりではなく、間違いやデマ、時には危険なこともあり、うっかり鵜呑みにすると、とんでもない禍を招くことにもなりかねません。失敗しないための冷静な判断が必要です。

 むかし、お釈迦様がコーサラ国の舎衛城西方にあるクセンミ国のクシラ園におられた時、多くの人々が集まってお説法を聴聞していました。ある時お釈迦様は、修行者たちに次のような喩え話をなさいました。
 「むかし、ある川の草むらの中に一匹のカメが住んでいました。ある時、お腹を空かせて食べ物を探しに出たキツネが、このカメを見付けて捕えようと思い傍へ寄って行きました。キツネが近づいて来る事に気付いたカメは、急いで頭と尾と手足を甲羅の中に引っ込めました。そこでキツネは、カメが頭や足を出した処を覗って食べようと思い、横に座ってじっと待っていました。しかしいつまで待っても、カメは頭も出さなければ足も出しませんでした。飢えに迫られたキツネは、遂に腹を立てて餌を求めて立ち去ってしまいました。」
 そこでお釈迦様は、このたとえ話の後、続けてお話になりました。「修行者たちよ、お前たちもキツネに狙われたカメと同じである。悪魔は常にお前たちを覗っている。お前たちは良からぬ目で物を見ているのではないか。お前たちは耳で必要のない戯言を聴こうとしているのではないか。お前たちは鼻で自らが好む香りを求めているのではないか。お前たちは舌で美味しいものを食べたいと求めているのではないか。お前たちは肌で心地良い触覚を感じようとしているのではないか。たえず心に欲望を持って様子を窺っているのではないか。お前たちがこの6つの外境に触れて愛着を起したならば、その時に付け入ろうと悪魔は常に隙を伺っているのである。悪魔とは自らの飽くなき欲望である。それ故に常に戒律を保ち、ちょうどカメが頭尾と手足の6つをしまってキツネの襲撃を避けたように、外界の誘惑を避けて六根を閉ざし、悪魔の襲撃に備えなければならないのである。」『雑阿含経 第43』

 欲望とは不足を感じて満たそうとする心で、貪りや好みや愛欲となって現れます。独善に陥る情熱が凡夫の心を焼くことを火にたとえ「欲火よっか」といい、煩悩が人を沈没させることを河にたとえ「欲河よくが」といいます。

合 掌



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