ゴータマ シッダールタ太子(お釈迦様)は、苦行を続け肉体を虐めることが悟りに到る道ではなく、間違いであることに気が付かれました。そして、6年間の断食による苦行を未練なく捨て、尼連禅河でスジャータという娘さんから乳粥の供養を受け、健康を回復されました。そして対岸にある畢鉢羅樹ぴっぱらじゅの根元に端座し、悪魔の襲来ともいうべき湧き上がる煩悩と戦い続けられました。太子はこれらの心を隅々まで追求打破し、夜明けを迎えて曉の明星を仰いだ時、心は光り輝き悟りは開け、佛となられました。太子35歳の12月8日早暁のことでした。ブッダガヤのマハーボディー寺院内にある金剛宝座が悟りを開かれた場所です。

 アショカ王は、紀元前3世紀にお釈迦様がお悟りを開かれた場所に石(金剛宝座)を置き、精舎(寺院)を建立しました。5~6世紀には高さ52mの塔が建立され、マハーボディー寺院と名付けられました。お釈迦様が成道された聖地として2002年に世界遺産に登録されています。金剛宝座を覆うように枝を伸ばした畢鉢羅樹は4代目の樹で、現在では菩提樹と呼び、金剛宝座と共に成道の地として多くの佛教徒が礼拝に訪れています。

 ブッダガヤはお釈迦様が悟りを得た場所(成道の地)であり、自身の滅後には佛教徒が来たるべき土地だとお示しになりました。
 ある時 弟子の阿難(アーナンダ)が、お釈迦様の在世中は多くの悟りを得た僧たちが訪れて尊敬することができましたが、入滅後は集まることがなくなり、お釈迦様に敬意を表し、お互いに励まし合い精進に励むことをしなくなるのではありませんかと懸念し訴えました。その時お釈迦様は、「自身の滅後に信心ある者は生誕の地ルンビニー、悟りを得た成道の地ブッダガヤ、初めて説法した初転法輪の地ベナレス鹿野苑ろくやおん、入滅の地クシナガラの4ヶ所に立ち、私を思い出しておくれ」と説かれました。

 「これらの4ヶ所は、信心のある善男子善女人が見るべきで尊敬するべきところである。ここで降誕し、ここで等正覚(悟ること)を成し、ここで無上の法輪を転じ(この上ない佛法を広く説くこと)、ここで無余涅槃(肉体と精神が完全に消滅した状態)に入滅した、と。ここに出家と在家の佛教者は集まり来るべきである。
 アーナンダよ、4つの塔廟の巡礼者として遍歴し、信心を持って命終する者は、誰でも身壊れ死して後に、善趣天界ぜんしゅてんかい(良い天界)に生まれるであろう」と南伝大蔵経に説かれています。(南伝大蔵経7-125)

合 掌



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