医学の歴史はきわめて古い。当然です。人が生死を自覚した時から、まだ知識や技術はなくとも、その根源が芽生えていたことは想像に難くありません。
 最初期の医学についてバビロニア(紀元前2,400年頃)には逸話が残っているようです。この国では病人が出ると家ではなく広場に連れて行きました。通行人は自分や知り合いに同じ病気で回復した人を知っていれば、その治療法を教えなければならなかったそうです。誰もが知らぬ顔をして通り過ぎてはならぬとおふれまで出されていたと。やがて回復に至る情報が集められ、医学的な知識の豊富な者が頭角を現すようになりました。この頃医術を行っていたのは預言者、まじない師、占い師兼治療師の祭祀者でした。
 古代中国でも「みこ」と「」は一つでした。「」の下の部首は酒を意味しますが、同時に薬草も意味しており、「」のように部首が巫の文字もありました。
 こうして紀元前4~1世紀になると、病気の治療にはお守りや呪文よりも薬が効くと考えるようになりました。病だけでなく薬の知識まで豊富な者が増えたのです。
 日本も遣唐使によって薬や治療方法を書いた典籍を中国から請来しました。正倉院宝物の中には、数種の薬が伝えられています。有効期限の概念がない1,300年前のことですから、今でも効き目があるかどうかわかりません。
 こうして、海外に留学して知識を詰め込んだ日本の僧侶も、医術に携わるようになりました。今では医者と僧侶は区別されていますが、佛教は「応病与薬」「抜苦与楽」の教えです。薬師寺の僧侶は、「身心安楽」の教えに従い皆様の支えになることができればと考えています。

 最後に落語の小話を一つ。
 初老の二人の男性が、楽しそうに話をしながら歩いていました。一人はお医者さん、もう一人はお坊さん。お医者さんがポケットから物を取り出そうとした時、誤って懐中時計を落としてしまいました。それをお坊さんが拾い、懐に仕舞おうとされました。そこでお医者さんは「その時計は私の時計だから返して欲しい」と言いました。するとお坊さん。「一旦医者の手を離れたのだから私の物だ」と、渡そうとしません。すかさずお医者さんは「最後を看取るのは医者の仕事だから確認させてくれ」とお願いします。そこでお坊さんが時計をお医者さんに渡すと、受け取ったお医者さんは耳に当てました。すると時計はまだ動いています。そこでお医者さん。「まだ脈がある。坊主には渡せん」とポケットにしまいました。お後が宜しいようで。

合 掌



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