私が講演で時々紹介する薄田泣菫すすきだきゅうきん(明治十年~昭和二十年)先生の詩があります。明治大正昭和の三時代に活躍したロマン派の詩人で、猿を主人公にした詩です。

  「三びきの猿」
  向かう小山を猿がゆく
  さきのお猿が物知らず
  あとのお猿も物知らず
  なかのお猿が賢くて
  山の畑に実を蒔いた

  花が開いて実が生れば
  二つの猿は帰り来て
  一つ残さずとりつくり
  種子をば蒔いた伴の名は
  忘れてついぞ思ひ出ぬ

 少し古文調なので分かりにくいという人のために説明致しましょう。
 「ある山に三匹の猿が住んでいました。その内の賢い一匹の猿は、皆のために山の畑に果実の種を蒔き、丁寧に手入れを続けました。やがて手入れの甲斐があって収穫の時期が訪れました。たわわに実が熟した時、それまで何の手伝いもしなかった二匹の猿がやって来て、賢い猿が努力の果てに育てた美味しい果実を一つ残らず持ち去ってしまいました。二匹の猿は取り尽くすだけ取ると、かつて賢い猿がたった一匹で一所懸命種を蒔き育てた事を思い出しもしないで、その賢い猿の名前すら忘れて思い出す事も有りませんでした。」という内容です。
 常識のある想像力の豊かな人であれば、この詩を読んで義憤に駆られるのではないでしょうか。何の努力もせず成果だけを横取りしたという意識すら無い二匹の猿に対して、苛立ちを感じられることでしょう。美味しい実が本来の所有者である賢い猿の口に一粒も入る事なく終わってしまったという哀れさに、胸を痛めるかもしれません。
 しかしそれは凡夫の解釈です。もしかしたら賢い猿は、大きく広い心を持っており、二匹の猿の身勝手すら微笑んで、遠くから眺めていたのかも知れません。
  「忘れてついぞ思ひ出ぬ」でこの詩は終わります。肝心の種を蒔いた賢い猿が、二匹の仲間達のとった行動にどのように反応したのかは、一切触れていないところが絶妙です。
 そして面白いのは、ここに登場する三匹の動物が何れも「猿」であることです。身勝手な二匹も、賢い一匹も何れも同じ猿なのです。
 この詩は様々なメッセージを私たちに投げかけています。私たちは他者によって受けた恩や豊かさを当たり前のように享受していませんか。今までの豊かさの土台となった存在をちゃんと覚えていますか。
 そして私たちは誰に評価されずとも、たった一人静かに種を蒔いた賢い猿になれるでしょうか。

合 掌



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