袈裟けさとは佛教の僧侶が身に着ける布のことで、サンスクリット語のカーシャーヤ(kāṣāya) を音訳したものです。濁った色、穢色えじき壊色かいじき不正色ふせいじきという意味で、袈裟のことを糞掃衣ふんぞうえ又は縫い合わされた布が水田のように見えることから福田衣ふくでんねと言います。
  白い布をまとう在家者と僧侶とを区別するため、身体を包む布として糞掃衣を用いました。袈裟(糞掃衣)は、人々が捨てたぼろ布(体賎たいせん) を以て作り、濁った色(色賎しきせん)で作り、裁断されて価値がなくなった布(刀賎とうせん)を再び継ぎ合わせて作ります。 「行者は少慾知足にして衣趣、形を蓋うに多からず少なからずが故に但だ三衣の法を受く。白衣は楽を求むるが故に多く種々の衣を蓄ふ。或は外道げどう(佛教以外の宗教)あり、苦行の故にとて裸行にして恥ずるなし。是の故に佛弟子は二辺を捨てて中道にして行ず。」と『大智度論』に教えられています。 佛教発祥地亜熱帯のインドでは、三衣(3枚の袈裟)で1年中充分に過ごすことができますが、寒暖の差がある西域・中国・日本では寒さを防ぐため袈裟以外に下着として何枚かを着用したものが、祇支ぎし褊衫へんざん横被おうひころもとなりました。それがやがて装飾化され、本来禁じられていた華美なものとなり、大きさ・形まで変化してしまいました。
 「大袈裟」とは、物事を事実以上に誇張するさまのことですが、僧侶は、本来の袈裟の使用方法を逸脱して華美に装飾されたり、必要以上に大きくしたりして目立とうとした行為が揶揄されて「大袈裟」という言葉が用いられるようになりました。
 また、佛教に深く帰依するコーサラ国の 波斯匿王はしのくおう は、近付いて来る僧侶に出逢いました。王は馬から下りその僧侶に佛弟子と思い礼を尽くし挨拶をしましたが、その人はバラモン僧でありました。以後間違えずに一目で佛弟子と分かるようにならないものかと、お釈釈迦様にお願いしました。すると、お釈迦様は傍にいた阿難尊者に田を指差して「あのようにすればよいだろう」と言われたそうです。作物を育てる田畑と同じように、お釈迦様の尊い教えにより人々の心を耕して善業の種を撒き、功徳を積み福を生む田を形にされました。
これも袈裟の由来であって、そのためにお袈裟のことを福田衣と言います。
袈裟には十のご利益りやく があると『受戒得度作法』に説かれています。

一 身を覆い羞恥を離れて慚愧を倶す
二 寒熱蚊蟲を離る
三 沙門の相を示し、見る者歓喜し邪心を離る
四 人天宝幢の相、梵天の福を生ず
五 之を着する時宝塔の想を生じ諸罪を滅す
六 壊色貪欲を生ぜず
七 袈裟は佛の浄衣、永く煩悩を断じて良田を作る
八 罪を消して十善を生ず
九 良田の如し、能く菩提の芽を増長す
十 甲冑の如し、煩悩の毒箭害する事能はず

「糞掃衣」や「福田衣」を身に着けた僧侶が本来の僧侶で、「馬子にも衣裳」で形だけに捉われない様にしなければなりません。

合 掌



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