30年以上前の思い出です。平成2年4月21日、バリグ・ブラジル航空に乗って成田を出発。ロサンゼルスまで12時間、サンパウロまで12時間、時間はタップリあるので本を読もうとしても頭に入らん。この際ゆっくり寝ようかと思っても、やれ食事だ機内販売だと何だかんだと眠りを妨げられ起こされてしまった。挙句の果てに、「ブラインドを下げて眠って下さい」と目が覚めてしまっているにも関わらず眠らされて、そんなの眠れる筈がない。機内を歩き回ることもできず狭いシートに縛り付けられ、何をするでもなくただぼんやり。こんなに時間を長く感じたのは初めてです。「とにかくブラジルは遠い」という印象でした。そりゃ地球の裏側ですものね。インドをはじめ東南アジア等佛跡を巡拝するための海外旅行は幾度もありますが、南アメリカは勿論初めてです。
 そうそうブラジルへ行った目的は? それは、昭和63年が「ブラジル移民80周年」の年で、明治41年4月28日に、781人の方が「笠戸丸」に乗り神戸港を出港。シンガポールから南アフリカを経由して6月18日、ブラジルの港湾都市サントス港に到着。ブラジルへの移民希望者を募集する際に高待遇や高賃金をうたい文句にしたため、新天地を求めてブラジルへ渡ったそうです。しかし劣悪な住宅環境・苛酷な労働・低賃金と全ての待遇が奴隷の如くであったため、異国の地で祖国日本へ帰りたいという思いを残しながら、多くの人々が虐げられたまま果てて逝った、そんな先駆者に対し慰霊法要をして頂けないかという依頼が日本ブラジル協会から薬師寺の高田好胤管長さんにありました。高田管長さんは、「多くの先人の方々の血と汗と言い尽くせない程の苦労の連続があってこそ今のこの繁栄を頂いているのであるから、誠心誠意慰霊の読経を勤めさせて頂きます」と快諾されました。高田管長をはじめ、5人の僧侶・関係者20数人での「ブラジル移民80周年先没者慰霊法要の旅」でした。
 当時笠戸丸でブラジルに到着するのに2ヶ月の歳月が掛ったそうです。それを思うと24時間なんてアッと言う間です。 高田管長からブラジル行きの世話をするように指名された時は、小躍りして喜びました。滅多に行くことが出来ない地ですから、期待に夢を膨らませて・・・。しかし大いに間違っていました。
 滞在期間中日本人が入植した各地域の共同墓地16ヶ所での慰霊法要です。私が訪れた4月から5月は南半球でありますから初秋です。秋ですから少しはマシかと思ったら兎に角暑い。汗が湧いて出てきます。高田管長は何をするにも丁寧なお方です。お菓子を供えお茶を供え読経するのですが、法要の時間が1時間半から2時間。木陰を選んで場所を設え慰霊の誠を捧げるのですが、止めどなく流れる汗、木陰といえどジリジリと照り返す暑さ。お蔭で滞在期間の14日間で頭の皮が三度剥けました。何せ髪の毛がありませんから「直火焼き」。滞在期間中朝から晩まで慰霊法要をしているかバスで移動しているかのどちらか。一度の観光もなし、確かに観光に来たわけではないのですが、チョット位遊びがあっても良さそうなもの(考えが甘すぎました)。来る日も来る日も汗まみれ、埃まみれになりながら慰霊法要の連続。正直なところ「こんなん来るんじゃなかった」と言うのが本音でした。
 明治41年(1908)781人の方々の移民から始まり、その後も開拓に希望を持って移民された多くの方々の苦労を目の当たりにした時、何不自由なく暮らす事が出来る豊かな今の日本の有り難さに感謝の心を忘れてはならないと深く感じています。
 でも私のブラジルの印象は、汗と暑さと頭の皮が三度剥けたことでした。この厳しさを今も忘れることができません。

合 掌



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