スリランカは、1948年2月4日イギリスからセイロンとして独立しました。その後1972年スリランカ共和国に改称し現在に至っています。人口は約2200万人、北海道の約8割の面積で、紅茶の生産が盛んな緑豊かな熱帯の島です。
 シンハラ語で、スリ は「聖なる」「光り輝く」「高貴な」といった意味があり、ランカは古くはサンスクリット語で「島」を示す名詞です。スリランカの公用語はシンハラ語とタミル語で、連結語として英語が用いられています。現在国民の75%はシンハラ人でタミル人は15%強です。シンハラ人の大半は佛教徒ですが、それには理由があります。
 スリランカの歴史書『デイーパヴァンサ』(島史)や『マハーヴァンサ』(大史)では、インドのラーラ(西北インドのグジャラート)国王であるシーハバーフの長男ヴィジャヤの来島をスリランカ史の始まりとしています。
 お釈迦様の入滅後、故国を追われてスリランカに上陸したヴィジャヤは、南インドのヴァンドウ王の娘と結婚してこの地で王位につきました。そして次王は釈迦族の王女をめとり、王女の兄弟もまた来島して定住したといわれています。つまり釈迦族の王族であったお釈迦様とシンハラ族の王家は血縁関係にあるというのです。また伝承ではお釈迦様は生前3度スリランカに飛来して説法を行い、3回目にはサマンタ・クータ(現在のアダムス・ピーク)に降り立ったと伝承されています。その時に残されたと伝えられている山頂の佛足石は、今日でも日の出とともに行われる礼拝の対象となっています。
 歴史的には、アショカ王(阿育王 在位は紀元前268~232)の息子であるマヒンダ僧と娘のサンガミッター尼の来島がスリランカに於ける佛教の始まりです。その後スリランカでは、最初にできた大寺派と次に成立した無畏山寺派との間で大きな対立が生じました。紀元前43~29年にそれを危惧した僧侶が、マータレーにおいてマヒンダやサンガミッターの伝えた教えをパーリ語の経典にして纏めました。パーリ語は聖典用の言語であるサンスクリット語よりも話し言葉に近いものです。この時に成立したパーリ語の経典は、現在最も完全な状態で残されている佛教聖典です。
 アヌラーダプラにはお釈迦様の教えとともに、アショカ王の娘サンガミッター尼によってもたらされたスリー・マハー菩提樹があり、これが聖地とされる所以です。お釈迦様がこの木の下で悟りを開いたといわれるブッダガヤの菩提樹を株分けした木で、ともに渡来した「カプワ」と呼ばれる人々によって代々守られ続けています。樹齢2000年を超えるその聖木は、伝承によれば紀元前288年に植樹され、人の手によって植樹された記録に残る世界最古の木といわれています。この事実はスリランカの歴史書『マハーヴァンサ』に記述されています。
 インドからスリランカに初めて伝わった佛教は、聖地アヌラーダプラから東南アジアの各地へ広まっていきました。

合 掌



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