宗祖慈恩大師の忌日である毎年11月13日には慈恩会が厳修されます。慈恩大師の御命日に遺徳を偲び、報恩謝徳と研学増進の意を表す法会です。慈恩会は慈恩大師の遺影を祀り、御前で学僧の日頃の学業成果を披瀝ひれきするもので、問答形式で議論する「論義」を催します。
 毎年執行される慈恩会法要の中心は、論義の形式によるもので、講問論義では會問えのもん(質問者)が講師こうじに論義の嚆矢こうしを放ちます。講師は會問に正義を説き反論します。現在の慈恩会の講問論義では『成唯識論同学抄』から「唯識比量」が撰ばれ、また別に慈恩大師の『観弥勒上生兜率天経賛かんみろくじょうしょうとそつてんぎょうさん』にしたがい「上生経大乗経也」という論題が論義されます。二題を重ねて論義するこの形式を〈重ね論議〉とも言います。
「唯識比量」では「唯識無境」について、清弁論師による旧釈と護法菩薩・玄奘三蔵の新釈を論じる内容です。一方「上生経大乗経也」では『観弥勒菩薩上生兜率天経』は大乗経に属するか否かを論じています。
 我が国で慈恩会が初めて厳修されたのは、興福寺においてです。菅家本『諸寺縁起集』によれば興福寺慈恩会は、天暦5年(951)11月13日に始められ、その後、天元4年(981)に興福寺慈恩会に竪義の制が設けられました。薬師寺においては康平4年(1061)に慈恩会に研学竪義が副えられたことが記録されており、慈恩会の始行はさらに古いことが推測されます。竪義とは学僧の教学理解を試験する口頭試問で、学僧たちは論義法会での竪義遂業と講師遂業によって学徳兼備を目指しました。よって慈恩会は、寺中に確固たる地位を占め、竪義が重視されるに至りました。
 慈恩会は明治初期に一時廃絶しましたが、その後、明治29年11月13日に法隆寺大講堂で法相宗の宗会として復興し執行されました。現在は、会場を法相宗の二大本山である薬師寺と興福寺で移して、毎年両寺衆僧の出仕によって11月13日に厳修されています。
 ※本年令和3年慈恩会は興福寺での執行ですが、新型コロナウイルス感染症のため非公開となりました。

合 掌



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