昔、世間から「三カク長者」と呼ばれる長者さんがいました。長者さんと呼ばれているのでお金持ち、それも一代で長者さんと呼ばれるようになった超大金持ちです。その長者さんは、お金儲けの事となったらどんな手段を使ってでもお金儲けに拘っていました。そんな長者さんを見て世間の人々は、あいつは「三カク長者」と揶揄やゆし非難していましたが、長者自身は世間から「三カク長者」と軽蔑されている事を知りませんでした。
 ある時、自分が「三カク長者」と呼ばれている事を小耳に挿みました。どんな意味なのか分からないので息子に尋ねたところ、最初は気を遣って言いにくそうにしていましたが、「義理をかく」「欲をかく」「恥をかく」の3つにそれぞれカクがあるので「三カク長者」と呼ばれているのだと教えてくれました。目先のためだけに金儲けをして長者になったから「三カク長者」と呼ばれていると正直に伝えました。感情に流される事無くお金が絶対と執着し、お金しか信用していませんでした。人は騙す事があるが、お金は騙す事がない。お金があれば何でも手に入れる事が出来るし、金儲けの為ならば、義理なんて関係ない。恥も関係ない。「カネ・カネ・カネ」と欲を出して金儲けして、やっと一代で長者になる事が出来た。何も悪事を働いている訳じゃない。他人から非難される筋合いもない。誰にも迷惑を掛けているつもりはない。それの何が悪いのだと怒り、自らを秘かに正当化し納得していました。
 しかし、やはり世間の批判が気にならない訳ではありません。何となく心がスッキリとしない日々が続く中で年齢も重ね、いつか自分も命が尽きるであろうと頭をよぎりました。死ぬ時は何も持って死ぬ事が出来ないなぁ。生まれて来た時も、何も持っていない裸であったなぁ。と気付いたので、長男に頼んで棺桶を作ってもらい、その蓋に手が通る穴を二つ開けてくれるように頼みました。そして、自分が死んだ時はこの棺桶に納めて蓋をし、穴から両手を出してくれるように頼みました。死んだ時は何も持って行けないことを世間に見てもらうためでした。
 ついに「三カク長者」が亡くなりました。長男は父親の遺言通り棺桶に納め蓋をし、空いた穴から両手を出してお葬式が始まりました。すると世間の人々は、お~い、「三カク長者」が亡くなったそうだ。あんな男だったけれど最後だからお弔いに行ってやろうかとやってきました。そして棺桶の蓋から両手を出して棺に納められている様子を見て、死んでもまだ手を出して物を欲しがっていると言いました。 日頃の行為がその人の人格を決定付けるものです。

合 掌



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