今年は9月21日が中秋の名月に当たります。お月見は、古来より旧暦8月15日の十五夜にお月様をでる習わしです。虫が鳴き出し、秋晴れが続き空気も爽やかに冴え渡り、空も高くなって月もきれいに見えるので、中秋の名月を楽しむようになりました。 お経にも『 兎王焚身とおうふんじん』や『猿と井戸の月』(13回 令和2年9月28日掲載)等お月様のお話が沢山登場します。
 お月様に関し数々の逸話が伝えられていますが、今回は一休さんとお月様のお話を紹介します。
一休さんは六歳で京都の安国寺(禅宗)に入門されましたが、浄土真宗八代目の蓮如上人と交流があり最後は浄土真宗に改宗されました。
 一休さんは、蓮如上人のお書きになった一文に、「阿弥陀様は、平等の御慈悲をお持ちになったお方」と書いてある事を知りました。一休さんは、同時に「阿弥陀様の御念佛を一心にお唱えすれば極楽浄土に成佛でき、唱えなければ成佛できないとあるが、 これは平等とは言えないのではないか」と疑問を抱きました。そこで一休さんは蓮如上人に「阿弥陀には まことの慈悲は なかりけり たのむ衆生をのみぞ助ける」と歌を添えて手紙を書きました。
 「たのむ衆生」とは、他力本願による信心を願った人のことです。他力の信心を願った人だけ助けて、他力の信心を願わない人は助けないのは、不平等ではないか。それは「まことの慈悲」ではないのではないかと質問しました。
 すると蓮如上人は一休さんに歌にして教えを返しています。「阿弥陀には、隔つる心は なけれども ふたある水に 月は宿らじ」と歌を添え手紙が返ってきました。
 月は海にも影を映し、池にも田んぼにも雨上がりの水溜りにもお茶碗の中にも影を映します。広い海でも小さなお茶碗の中でも、綺麗な水でも汚れた水でも、月は平等に影を写します。同じようにあの人は善人だから、あの人は悪人だからと選ぶ心ではなく、 全てが平等のお慈悲です。
 ところが、蓋がしてあるものには映りません。月が悪いのではなく、蓋が遮っているだけです。蓋があるという事は、私たちが自ら作り出している偏りや拘りやとらわれの心を持っていて、他力を信心していないという事です。
 阿弥陀様の本願は、心を込めて信じて極楽浄土に生まれたいと願わなければ何事も成就しないと言う教えです。

合 掌



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