昔、ある方に「手の平を見せるのではなく、手の甲を見てもらう人間になりなさい。」と聞きました。その時は何の事やらさっぱり理解できずにいました。記憶に残る事も無く全く忘れていたのですが、50年以上前に聞いたその言葉が最近突然思い出されました。 心の奥底に記憶として残されていたのだと思い、認識を新たに致しました。その言葉が種子しゅうじとして熏習くんじゅうされていたのでしょうか。
 その時の様子を思い出し考えてみると、人から物を頂く時は、「ください」と言って手の平を差し出します。人に物を差し上げる時は、手の平に包んで「どうぞ」とお渡しします。 手の平を差し出すのではなく手の甲を見てもらう、という事が今になってやっと理解出来ました。
 私たち僧侶は、普段周りの人から色々な物を貰い慣れていて、有難味、感謝の気持ちを忘れてしまう事が度々あります。ですから「くれくれ坊主にやりともない」という揶揄した言葉も生まれてきます。 お供え物は、我々僧侶に頂くのではなく、佛様にお供えされた物であって、その「おさがり」を頂きます。その基本的な事を間違えてしまっているのが現実です。

 正しい行いの実践方法をお釈迦様は教えて下さっています。
般若心経の波羅蜜とは、六波羅蜜の実践です。布施ふせ持戒じかい忍辱にんにく精進しょうじん禅定ぜんじょう智慧ちえの実践が説かれています。 幸せを頂くための行動です。今日は、最初の布施に付いてお話します。
布施ふせは、サンスクリット語で「dāna(ダーナー)」といい、「檀那だんな」と音訳され「旦那」となりました。「dāna」を意訳すると「布施」となります。 菩薩の修行の実践徳目の最初が布施の行為で、社会的実践行為です。物惜しみせず、財産への執着を除き、人々を利益するものでなければなりません。 「もらっていただく」「ありがたく頂戴する」というようにお互いが感謝の心で行われるべきものこそ「布施」であって、そこには、見返りを期待する必要はありません。布施には三種類あり、①法施ほっせ  ②財施ざいせ ③無畏施むいせです。法施はお釈迦様の教えをお取次ぎし、心豊かな喜びと感謝と敬いの心を養う慈悲の実践です。 財施は物惜しみする事無く喜んで感謝の気持ちを以て差し上げる事です。無畏施は災難などに不安を抱いている人を慰めて、その恐怖心を除くことです。

 最近は、金品の授受のみならず、見返りや便宜供与が当たり前のようになり、贈収賄の犯罪行為が絶えません。人は物を頂く時はもらって当たり前。差し上げる時は出し惜しみする身勝手さです。謙虚さと感謝の心をいつも抱いて、高慢や自惚うぬぼれを抱いてはいけません。 人をだませば罪の意識が湧いてきますが、自分を騙す事は容易たやすい事です。自らを振り返ってみて、身勝手で自己中心となり、 自分の悪業あくごうを認めない姑息こそくな行動を積み重ねていませんか。

布施の実践方法は『大智度論だいちどろん』などに説かれています。


合 掌



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