「薬師寺のお坊さんは皆さんお話が上手ですね」とよくお褒めの言葉を頂きます。一方で「口も八丁 手も八丁で今のお話本当かしら」と言われたりもします。 褒める意味で用いるよりもけなして使うほうが多い「口も八丁 手も八丁」は、弁天様の教えから生まれた言葉で、本来は「能弁で手腕も非常に達者であること」なのです。
 弁才天はヒンズー教の神様で、インドのサラスヴァティの河を神格化したものです。実りをもたらす豊饒の神様ですが、佛教の伝来と共に取り入れられ弁舌・智慧・福徳・延寿を授けると共に災厄を除く女神です。 『金光明最勝王経 大弁才天女品』にその功徳が詳述されています。
 日本では奈良時代以来諸国の大寺で祀られ、特に室町時代に盛んに信仰されるようになりました。お姿は、八臂像や二臂で琵琶を手にする像があります。 二臂像はサラサラと流れる水のせせらぎの妙音が爽やかな弁舌に通じることから、弁舌と才能の功徳が説かれ、転化して音楽神となり琵琶を弾じる女神像となりました。八臂像は多彩な効能を表現するには二本の手では足りず、造形として表現する為に六本の手を足して八臂とし、 その功徳を現わしたものです。左右の手には、刀・げき羂索けんさく・弓・矢・如意宝珠にょいほうじゅ・ 鍵・法輪ほうりんの八種の道具を持ち教え導きます。刀は悪を切り裂き、戟は悪を食い止め、羂索は悪を縛り上げ、弓と矢で悪を退散させます。 如意宝珠はあらゆる願い事を聞き届け、鍵は宝の入っている蔵を開放し、法輪はお釈迦様の教えを広く伝えることを表します。このようにして弁天様は私たちに「あの手この手」で幸せをもたらして下さるのです。しかし、「口八丁 手八丁」の言葉は、 弁才天の慈悲の心をけなしたり疑ったりしてしまっているのです。
 混乱する昨今は飽くことのない欲望により、自己本位で絶えず疑いの目でもって自己防衛をするようになり、人に対する信頼感を自らの手で捨ててしまっています。美しく豊かな日本の心を失い、こんなにまで汚してしまったのは誰でもない私たち自身です。 自らの手で汚したのですから、自らの手で綺麗にしなければなりません。私たちの未来は来世は何かと考えた時、それは私たちの子どもや孫や曾孫です。これから命を頂くであろう子どもたちの為に美しい日本を作ること、 心豊かな日本を作ることが大切な事で、弁天様の教えである慈悲の心・感謝の心を「口も八丁 手も八丁」であの手この手をつくして実践することから始めたいと考えています。

合 掌



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