「百年目」という題の落語があります。日頃は大真面目で甲斐性のあるしっかり者の一面、隠れ遊びをするずるさもあるが実は小心で律義者の番頭さんが、 大川でお花見をしながら派手な芸者遊びをしているところを主人(旦那)に見つかってしまいます。 とんでもないところを見られてしまった番頭さんは、暇を出されるのではないかと気が気ではありません。翌日主人は、番頭さんを自室に呼んで、主人と番頭さんと丁稚に対する日頃の人情味や、使う立場と使われる立場の気配り方法を教えます。

 主人が旦那という言葉の由来は、天竺てんじくから伝えられた話で、赤栴檀しゃくせんだん南縁草なんえんそうの関係であると話します。誰が見ても立派で素晴らしい赤栴檀の根元に、南縁草という見るに忍びない汚い草が生えているので、 この草を取ってしまえば赤栴檀がもっと引き立つに違い無いと引き抜いてしまうと、赤栴檀がだんだん弱ってしまいます。調べて見ると、赤栴檀は南縁草を肥やしにし、南縁草は赤栴檀から降りる露で茂っていた事が分かりました。 赤栴檀が元気であれば南縁草も元気になる、持ちつ持たれつの関係でした。赤栴檀の「だん」と南縁草の「なん」を取って「檀南(だんなん)」。そこから、「旦那」になったというのです。 大店おおだなの主人は、番頭さんに、私と番頭さんも、赤栴檀と南縁草の関係。自分も露を番頭さんに降ろしているつもりだ。また番頭さんも私を支えてくれている。そしてお店では、今度は番頭さんが赤栴檀で、店の丁稚が南縁草だと。 店の南縁草にも少し露を降ろしてやってくれはしまいかと。ここまでが落語の件です。

 旦那とは檀那で、正しくは佛教から来た言葉です。サンスクリット語dana(ダーナー)を音訳したものです。ダーナーは「布施すること」で与えること、贈ること、喜捨する事です。そこから、寺院、僧侶に布施・寄進する施主、佛教の後援者という意味で用いられています。 また檀家は寺を支える各家、檀那寺は檀家に支えられている寺です。
 自分の料簡で無駄や不必要と思っている存在が、実は光輝く存在の支えとなっている事もあります。一度立ち位置を変えて全体を冷静に眺める事も大切です。自分にとって、「赤栴檀と南縁草」にあたる関係の人は、誰なのか考えてみては如何ですか。
あなたにとっての赤栴檀は、南縁草は。

合 掌



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