インドに大事という名前の王様がいました。この国は富み栄え、いつも正法をもって国民を導いていました。王様には3人の王子がいました。
兄を大渠、弟は大天、幼弟は大勇という名前でした。
ある日3人は森に遊びに出掛けました。
すると7匹の子を連れた母虎が、親子共々飢えに逼られ瘦せ衰え、餓死寸前でした。王子たちは、飢えのあまりあわや我が子を食べようとしている虎を目の当たりにし、
大渠と大天の2人の兄は憐みの心を持ちましたが、末の大勇に向かって「虎は豹や獅子と同じく生肉や生血を食べている。私たちはこの虎の飢えを救うことはできない」と話し、その場を立ち去ってしまいました。
幼弟の大勇は、「人はみな自分の身を愛して他に恵むことを知らない。優れた人は、大慈悲の心をもってわが身を忘れて他を救う。私は百度千度生まれ変わっても身体は腐り爛れるだけです。
この身は変わりゆくもので、常に求めても満たしにくく、また保ち難い。今私はこの身を捨て、飢えている虎の親子を救ってあげよう。」と思い定め、少しも躊躇することなく進んで虎の前に身を委ねました。虎は直ちに飛び掛かり肉を噛み尽くしました。あとは、白骨が辺りに散らばるのみでした。
「捨身飼虎の物語」はお釈迦様の前生譚『ジャータカ』にも登場します。飢えた虎の親子に自らの肉体を「布施」する大勇を薩埵太子として表しています。
出典は『金光明経』「捨身品」です。
前回の「施身聞偈の物語」と今回の「捨身飼虎の物語」は、法隆寺所蔵の国宝「玉虫厨子」の側面に描かれています。
いちばん上に書かれているのは、自ら高所に登って着物を脱いで木の枝に掛ける場面、真ん中の絵の所で虎の前に飛び降りている場面、そしていちばん下の絵は、飢えた虎に食われている場面です。
太子は後に生まれかわってお釋迦様になるという説話の三場面を一つに描いています。
合 掌
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