お釈迦様の生涯は、アショーカ王の即位年(紀元前268年頃)を基準に推定しています。しかし南伝なんでん佛教と北伝ほくでん佛教 では100年以上の差があります。その為具体的に生没年を特定することができません。 東南アジア等、佛教国の多くは南伝佛教の経典により、宇井伯寿先生や中村元先生は北伝佛教の経典に基づき生没年を推定しています。何れにしてもお釈迦様は約2500年前の実在のお方であることは事実です。
主な推定生没年は、
紀元前624年~紀元前544年 南伝仏教による説
紀元前466年~紀元前386年 宇井伯寿説
紀元前463年~紀元前383年 中村元説
紀元前565年~紀元前486年 北伝佛教の『衆聖点記しゅしょうてんき』による説
等がありますが、他にも諸説あります。

『衆聖点記』とはお釈迦様が入滅されて後、律蔵りつぞうを伝えた聖者たちが、毎年の安居あんごが終わる毎に一点を記して経過した年数を示したものです。
 お釈迦様が、最初に入滅されて後、優波離が律蔵を結集けつじゅうするその年の7月15日に自恣じしを終えた印に律蔵に点を記しました。 毎年繰り返し、それを弟子の陀写俱に附託しました。次に須俱に附託しました。 次々と師資相附ししそうふして佛音ぶっとんに附託。佛音は弟子の僧伽跋陀羅サンガ・バッタラに附託。 僧伽跋陀羅は僧猗と共に律蔵を訳出して『善見律毘婆沙ぜんけんりつびばしゃ』十八巻とし、訳出後一点を記しました。 その数を数えると975点あり、その年が永明八庚午年(西暦紀元490年)でした。このことから逆算してお釈迦様の入滅が西暦紀元前486年であることがわかります。
お釈迦様入滅の翌年を佛教紀元元年とすると、今年は佛教紀元2506年となります。
西暦紀元前565年4月8日ルンビニーの花園でお生まれになり、西暦紀元前531年12月8日ブッダガヤの菩提樹の下でお悟りを開かれ、西暦紀元前486年2月15日クシナガラの沙羅双樹林でお亡くなりになりました。荼毘に付されたお釈迦様の遺骨は八等分され、佛塔が建立されました。

合 掌



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