『般若心経』は、今あるこの現実をもっとしっかりと受け止めなさい。全てを否定するのではなく、煩悩に満ち溢れていることをしっかりと認識した上で、自分はどうしたらいいのか素直に深く考え、正しい行いを実践しなさいと説いています。
傲慢な心や自惚れを捨て自分の弱さと非力を自覚し、虚勢を張るのではなくこんなに弱い人間だと言う事を認めてお互いに支え合う心豊かな人間性が大切です。その弱さの支えとなるのが自ら欲望の原因を確認する勇気です。
 お写経でも、無心になってからお写経と言っていると、無心になるまで誰もお写経ができません。「お写経はいつするんですか」「心が綺麗になった時にするんですか」とお尋ねの方がありますが、むしろ腹が立った時に書けばいいのです。 腹が立ちながら、「何であんなことに腹立てたんだろう」「何でこんなふうになってしまったんだろう」と悩みをぶつけながら書写して下さい。そうしたら「何でこんなことに腹を立てていたんだろう」 「向こうも悪いけど、こっちも意地張って悪かったなあ。まあ赦してあげて正直に詫びて謝ろう」となります。その赦す心、このことが大切な実践です。
 私たちの心には、幸せを邪魔する鬼が潜んでいます。心の鬼とは、貪瞋痴とんじんちの煩悩です。貪とは貪欲とんよくのことで、見たもの何でも欲しくなるという貪り、欲望です。 瞋とは瞋恚しんにのことで、怒りです。 自分の気持ちを受け入れて貰う時は相手方は善い人です。それが何かの拍子に反対の意見を言われると、忽ちに悪い人になります。自分の意見と合わなくなると悪い人。自分の意見に合う時だけは善い人という身勝手さ。これが瞋恚です。 痴とは愚痴ぐちのことで、物事の道理を知らないことです。
 煩悩を繰り返して続けているから、私たちは迷ってしまいます。人間である以上迷いはなかなか消すことができない。ですからそれを否定する、全部取り去ってしまうのではなく、迷いというものはそのままあるし、煩悩が沢山あるけれど、 それを乗り越えたところに、悟りの境地がある。煩悩を無い無いと否定するのではなく、それを乗り越えたところに素晴らしい世界があるのだと。ですから悟りとは、決心することと思います。私たちはついつい決心が揺らいでしまう。 正しい決心というのは、どんなことがあっても変わらない、何時までも変わらないもので、これが「悟り」だと思います。それが間違った決心をしているから、迷って間違った方向に行ってしまっている。全てを冷静に判断して、そして何が正しいか、何が大切か、 ということを見極めることが心豊かで幸せなことであると『般若心経』は教えて下さっています。

合 掌



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