東塔に記されている銘文(檫銘)には、「鋪金未だ遂げたまわずして」とあります。この鋪金という言葉は、お釈迦様在世中祇園精舎の建立物語に由来します。
佛教史上で最初に建立された寺院は竹林精舎で、迦蘭陀竹林ともいいます。お釈迦様の在世中、インド マカダ国の首都である王舎城(ラージャグリハ)に建立されました。
元来は、迦蘭陀(カランダ)長者が所有していた竹園で、当初はジャイナ教の拠点でありました。迦蘭陀長者はお釈迦様の説法をお聞きして帰依したことで、この竹園を佛教の僧園として奉じ、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が伽藍を奉献したと伝えられています 。
佛教史上で二番目に建立された寺院が祇園精舎で、コーサラ国の首都である舎衛城(シュラーヴァスティー)にあります。シュラーヴァスティーに、須達多(スダッタ)という富豪がいました。
身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独長者」 (アナータピンディカ ) と呼ばれていました。
ある日、須達多長者(給孤独長者)は、お釈迦様の説法をお聞きして帰依し、説法のための寺院(精舎)を寄付しようと思い立ちました。
マカダ国には雨期の間お釈迦様が安居出来る立派な竹林精舎がありますが、我がコーサラ国には安居するに相応しい精舎がありません。
須達多長者(給孤独長者)は、精舎を建立する場所を探していました。そして見つかった土地が、祇陀(ジェータ)太子の所有するマンゴー園 でした。その土地の譲渡を望む須達多長者(給孤独長者)に対して、譲るつもりもない祇陀太子は、
「このマンゴー園の土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と無理難題を吹きかけます。そこで、須達多長者(給孤独長者)は本当に金貨を敷き詰め始めました。この祇園精舎建立の折、
金貨を敷き詰めた故事(鋪金)に因んで未だ完成を見ない薬師寺の建設を「鋪金未だ遂げたまわずして」と表現されています。
此の度の国宝東塔大修理には、竹林精舎を寄進した迦蘭陀長者や、祇園精舎を寄進した祇陀太子と須達多長者のような特定の大檀越ではありませんが、正に東塔特別写経のご縁を頂いた皆様こそ尊い浄縁を捧げて頂いた大檀越であります。
この大修理は単なる建物の維持ではなく、平成の清らかな佛心の結晶であり、未来に大いに存在を示す浄業であると確信します。
風香り空輝く中で東塔の落慶式の慶びを皆様と共に分かち合いたいと願っています。
合 掌