インドのある村によく働く心の優しい男がいました。家が貧しくて、ろくに食べることができない日が続きました。そんなことは気にもせず、コツコツ働いていました。
そこへお嫁さんが「お腹が空いたでしょう。一杯しかありませんが、さあ召し上がって下さい」「美味しそうなお粥だ、有り難い。一緒に食べましょう」。「わたしはいいのです」。「二人で分けて食べましょう」。
その時遠くから、足音が聞こえてきました。お弟子様を連れたお釈迦様でした。
「このお粥をお釈迦様に召し上がって頂こう」。「それはいい考えです」。二人は傍へ駆け寄って「差し上げるものは、これしか御座いませんが、どうぞお召上がり下さい」と差し出しました。お釈迦様は、「有難う、皆で分けて頂きます」。心の優しい男は「分けたら一口にも足りません」するとお釈迦様は、「真実の心の籠ったものには、不思議な力があります」。お釈迦様は水の枯れた井戸を指さして、「その粥を井戸の中に入れて下さい」。「えっ、捨てるのですか」。「捨てるのではなく、あなたの贈り物を皆で頂くためです」。心の優しい男は、訳が分かりませんでしたが、指図通りにしました。するとどうでしょう。井戸はみるみるお粥で一杯になりました。「さあ、このお粥を皆さんに分けてあげて下さい。あなた達もお腹が空いていることでしょう。沢山頂いて下さい」。心の優しい男夫婦は言われる通りお粥を頂きました。「こんな美味しいお粥は初めてです」。やがてお釈迦様は、「いつまでも優しい心を忘れず、幸せに暮らしてください」といって、旅立たれました。心の優しい男とお嫁さんは、お釈迦様の後姿をいつまでも見送っていました。
畑に目を向けると、心の優しい男は腰が抜ける程驚きました。いつの間にか麦の芽は長く伸び穂が出ていて、それが見事に実り、畑一面金色に輝いていました。よく見てみると、実った麦の一粒一粒が金の粒でした。心の優しい男とお嫁さんは、手を取り合って喜びました。「これはお釈迦様のお慈悲に違いない。この喜びを独り占めにしては、勿体ない」。
刈り入れが済むと、心の優しい男は王様に報告しました。「畑の麦が、金になりました。お受け取り頂けますか。」欲張りな王様は直ぐ家来に言い付けました。「もし本当の金であれば、脅かして沢山持って帰れ」。早速取りに行って家来が見ると間違いなく金の麦でした。「王様に半分差し上げろ。嫌だと言ったら牢屋へぶち込むぞ」。心の優しい男はニコニコと答えました。「どうぞ好きなだけお持ち帰りください」。家来は袋に詰めて馬に積み、お城に帰って行きました。
沢山の袋を見て、王様は「早く見せてくれ」と大喜びです。家来が得意になって袋を開けた途端、いつの間にか普通の麦に代わってしまっていました。「役立たずの家来たち、自分が行って取ってくる」。心の優しい男の納屋を見た王様は、キラキラ輝く金の麦を見て、大喜びです。「私が好きなだけ貰っていくぞ」男は「どうぞ好きなだけお持ち帰りください」。と同じように答えました。王様は、喜んで前よりも多く持ち帰りました。お城に帰った王様は、「皆集まれ。今度はわしがとってきたのだから間違いはない」威張って言いました。袋から出てきた麦は、普通の麦でした。
人間は今は満たされていても、他人が持っていれば、自分も欲しくなります。人間の心には、たえず「貪欲(むさぼり)」の心が存在します。
欲張りな王様と、心優しい男と比較すればどちらが心豊かであるかがお解り頂けます。人間がどんなに恵まれていても、満たされていても、清らかな心をいただく安らぎが無ければ幸せであると言えるでしょうか。
合 掌
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