節句は中国発祥の行事で、奈良時代に日本に伝えられたと言われています。
最初は、宮中や上流階級の貴族の間でのみ行われた年中行事でした。庶民に広まったのは江戸時代に幕府が定めた
今ほど気象観測技術や医療、農業技術が発達していなかった時代、日常生活で発生する台風や水害、疫病を避け、作物を無事に収穫できるようにするため共通していたことは、旬の作物を神様にお供えすると同時に、折々の植物から力を頂き、邪気を払う行事を行うことでした。
農作業に励むお百姓さんも、五節句の日は仕事をお休みして家族揃ってご馳走を囲み、収穫に感謝しました。
日付は、奇数の同じ数字の組み合わせです。中国陰陽思想は、1.3.5.7.9の奇数を陽の数字(陽数)、2.4.6.8.の偶数を陰の数字(陰数)としています。陰と陽は互いに対立する性質を持ち、万物の生成消滅といった変化はこの陰陽の働きによって起こるとされています。中国に於いても節句に邪気払いの行事を行ないました。
1月7日は
なぜ人日の節句だけ1月7日なのかというと、1月1日はお正月で特別な日であるため1月7日になったと言われています。
3月3日は
5月5日は
7月7日は
9月9日は
この様に、天地自然に感謝の誠を捧げ、天下泰平、無病息災で一年を通して何事もなく平安な暮らしができるよう願いました。
合 掌
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