お釈迦様が祇園精舎におられたとき、今まで一所懸命修行に励んだけれど何の効果も得られないので、努力を捨ててしまったお弟子様を誡めるお話をされました。

 遠い昔、ベナレスに五種類の武器を使うことの出来る王子がいました。王子は、弓・槍・太刀・棒・投げ縄の扱いに優れていて、五武器王子と呼ばれ、その名は近隣諸国にも聞こえていました。
 王子が16歳になった時、ガンダーラのタッカシーラで5年間に亘り師匠について文武諸芸を学び、修行を終えベナレスに帰る事になりました。師匠に永年の教えの礼を述べ、五つの武器を携えて旅路につきました。
 国境の森に差し掛かった時、村人が王子を呼び止めました。「この森には、ねんもう夜叉やしゃが住んでおります。生きてこの森を出た者はおりません。だから一人で森を通り抜けようなどと考えてはいけません。夜叉は獅子のたてがみに似た毛で覆われ、矢であれ槍であれどんな武器を使っても、その毛に付着させてしまいます。そして武器を奪った後で人間一人丸ごと飲み込んでしまいます」。
 王子は村人の忠告を聞いたうえで、森へ入りました。森は暗く冷たく粘毛夜叉の妖気に満ちていて、他の生き物の気配がありません。やがて森全体がうなりを発しながら粘毛夜叉が現れました。椰子の樹程に背が高く、鋭い牙と荒鷲のように尖ったくちばし、全身が油毛で覆われた怪物です。「止まれ。俺の餌食じゃ」夜叉は低い声でえました。王子は夜叉の胸を狙って矢を放ちました。矢は次々に夜叉の胸に当たりましたが、毛にくっつくだけで、胸を射抜くことはありませんでした。次に王子は槍を、次に太刀を、次に棒を、次に投げ縄と、すべての武器を以って立ち向かいました。しかしそれらは夜叉の全身を覆う毛に吸い付くだけでした。更に王子はこぶしを振いましたが、毛に絡みつくだけで、王子は夜叉の胸に垂れ下がり、体の自由を失ってしまいました。
「お前は命乞いもしないし、恐くはないのか」「恐いことはない。人間は生まれれば必ず死ぬ、その覚悟はできている。私は武器を頼りにおまえと戦ったのではない。この私の身心しんじんだけが本当の武器だと思っている。戦いはこれからだ。私の腹の中には金剛の武器がある。この金剛の剣がおまえの穢れた心を粉々に切り裂くであろう、それ故私は少しも恐れないのである」これを聞いて夜叉は驚きました。
 王子は続けました。「もしこの罪をこのまま改めなければ、益々くらやみに沈むであろう。今日を限りに悪事を犯さぬがよい」。そして王子は五悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を戒め、五善を説きました。夜叉も説法を喜び、心を改め五戒を受ける事が出来ました。
 国を治めるに相応しい王子は、無事ベナレスに帰りました。
 お釈迦様は最後に、「何物にもたゆまず困難に破れず勤め励めば遂には目的を果たし得るものです」と語り終えられました。
 『ジャータカ物語 55 五武器王子本生譚』

合 掌



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