お釈迦様がアンガ国のアーバナ村を遊行ゆぎょうしていた時の事です。ポータリヤ(哺多利)と言う青年が「欲望」について質問してきました。
「欲望は、満たしてやれば悩まされることはないと思いますが、その為に多くのお金が必要ですし、なかなか上手くいきません。どうすれば良いでしょうか」。
 お釈迦様は静かにお答えになりました。「ここにお腹を空かせた犬がいたとします。ある人が肉の付いていない骨を与えると、犬は直ぐに食べ始めますが、肉が付いていない為、空腹は満たされません。必至に骨をかじる為、犬は口を怪我してしまいました。人間にとって欲望とは、この骨のようなものです。食らい付いても満足できず、却って苦しみが増すだけです」。
 「ポータリヤよ。烏が一切れの肉をくわえて飛んでいると、鷹が烏の銜えている肉を見付けて追いかけてきました。烏が鷹に襲われないようにするには、どのようにしたらこの危険な状態から逃れる事が出来るでしょうか」。ポータリヤは答えました。「肉を捨てれば助かります」。「その通りです。肉を捨てれば鷹は烏を追い掛けてきません。欲望とは、この肉切れです。捨てない限り苦難から逃れることは出来ません」。
 「ポータリヤよ。燃え盛る火の中にあなたは入って行きますか」。「とんでもありません。入ったら火傷をします」。「そうです。欲望とは燃え盛る火と同じです。賢い人は近付かないよう気を付けます」。
 「ある夜、楽しい夢を見たとします。夢から覚めると全て消えてしまっていました。欲望とは夢と同じで、満たされたように思っても虚しさだけが残るのです」。
 「ある人が豪華な屋敷を借りて優雅に暮らしていました。その暮らしを見ていた人々は、羨ましがるでしょうか」。「はい、借りているとは知りませんから」。「ところが突然家主が返せと言って、全てを取り上げられたとします。その人はどのように思うでしょうか」。「怒りを顕わにします」。「私たち人間の欲望もこの借りた品々と同じです。瞬間的に満足したように見えますが、直ぐに次の欲望が湧いてきて際限なく、遂には我が身を滅ぼしてしまいます」。
 「地位も財産も名誉も健康な命までもいつかは返さなければなりません。これが欲望の現実の姿です。満たしてやれば悩まずに済むものではありません。欲望を最小限に留めて、日々清らかな生活に勤めなさい。」お釈迦様は優しくお話しされました。このお話は『パーリ佛典経蔵中部 哺多利』 に登場します。

合 掌



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