こどもの日の5月5日は、昭和23年7月20日に祝日法によって制定された国民の祝日です。法律によると、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが規定されています。こどもの日は、全ての子の成長を祝う日で、端午の節句(菖蒲の節句)とは、同じ日ですが別行事です。

 端午の節句の起源は中国で、紀元前3世紀頃、政治家であり詩人である屈原くつげんが、正しくまつりごとが行われていないことに失望し入水自殺しました。屈原の命日である5月5日に、もち米を笹葉に包んで蒸し、供養の為にお供えしたことがちまきの起源とされていますが、定かではありません。
 日本に伝えられた端午の風習に倣い、推古天皇19年(611)5月5日「大和の菟田野うだの薬猟くすりがりをした」と『日本書紀』巻二十二に記されています。その後、この行事は一時中断しましたが、天平19年(747)「五日のせちには常に菖蒲あやめを用いてかづらとす」と『続日本紀』に登場します。青柳、百合、稲穂、菖蒲など様々な植物を飾りとして髪に結んだり巻き付け、その強い香気によって邪気を払い長寿を祈る行事が聖武天皇により行われた事が、端午の節会の再興と言われています。何時の頃からか菖蒲の葉をお風呂に入れる事により、この菖蒲の強い香りが邪気を払い無病息災を祈る習慣となり、現在に伝えられています。
 また柏餅は江戸時代の日本が起源ですが、柏の葉でお餅と餡を包んだお菓子です。柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちない為、子孫繁栄に繋がり、子どもの健やかな成長を願う縁起物とされています。

 「節句(節供)」とは、年に数回ある大切な節目を表す言葉で、神様にお供え物をし、厄払いや無病息災を願う年中行事です。たくさんある節句の中から江戸時代に徳川幕府が公的な行事・祝日として五節句(人日じんじつ・1月7日、上巳じょうし・3月3日、端午たんご・5月5日、七夕しちせき・7月7日、重陽ちょうよう・9月9日)を決めました。

 世界で使用している太陽暦は、天保暦を廃止する改暦の布告がなされ、明治5年12月2日の天保暦(太陰暦)を廃止し、翌日から太陽暦(改暦ノ詔書並太陽暦頒布)を採用し、明治6年1月1日とすることが定められました。その為明治6年の改暦の際に五節句の制度は廃止されましたが、今では四季を感じる年中行事として伝えられています。

合 掌



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