『大般涅槃経』 (Ⓟ Maha-parinibbana Suttanta)(マハーパリニッバーナ・スッタンタ)は、初期パーリ佛教経蔵の長部の内、第十六経として収録されている上座部経典で、『大パリニッバーナ経』とも呼ばれています。
 漢訳としては、『長阿含経』や『佛般泥洹経』や『般泥洹経』や『大般涅槃経』等があります。80歳のお釈尊様が、最後の旅に出発し、クシナガラで入滅後荼毘に付され、遺骨を分配する様子が詳しく述べられています。
 最後の教えとしてお釈尊様は、「法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)とお弟子様にお話しされました。
 その『大般涅槃経』に「波羅塞戯はららそくぎ」という言葉が登場します。「波羅塞」は「さいころ」(Ⓢ prāsaka)の音訳で、後に南朝では「雙六・雙陸」(そうりく)と呼ばれようになりました。
 雙六は、交互に骰子さいころを振り出た目に従って盤上の駒を進め、相手の陣に早く進み、目的に到達した方が勝ちとする遊びで、インドに起り、日本には白鳳時代(7世紀)に中国から伝来した歴史があります。
 持統3年(689)12月8日の条に「雙六(唐から渡来したもの)を禁止された」と『日本書紀』巻三十にあります。
 また正倉院の宝物にも聖武天皇の遺愛品とされる木画紫檀雙六局(もくがしたんのすごろくきょく)が納められています。
 鎌倉時代や室町時代の日記に雙六の記録が残されていて、雙六は上流階級婦女子のたしなみでもあったのでしょうか。
 清少納言の『枕草子』第一三四段(11世紀)、紫式部の『源氏物語』常夏(11世紀)、『平家物語』巻第一・願立(13世紀)、吉田兼好『徒然草』第一一〇段(14世紀)にも登場します。
 浄土雙六の最古のものは、室町時代後期(15世紀後半)に遊びが流行して、振出は地獄の有様が描かれ、絵に添えて佛教用語や教訓が書かれており、遊びを通して極楽浄土の有り難さを身近に感じる事が出来ました。その名称や内容から浄土系の僧侶によって作られたのではないかと考えられています。
 5世紀はじめに漢訳された『大般涅槃経』に見える「波羅塞戯はらそくぎ」は、経典に登場する言葉で、雙六のことです。

合 掌



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