ある日お釈迦様は、お弟子様を祇園精舎の前庭に集めてお話を始められました。
「両親を尊び敬う子どものいる家庭は、神と佛が住んでいます。神や佛とは、両親の事で、子どもを産み育てる神と、この世の善悪を教え示す佛に喩えています」。
お釈迦様は、更にお話を続けられました。「半月毎の八日目に神々の使者がこの世界を遊歴して、徳を積んでいるかを教えに来てくれます。そして、人間の世界に於いてどれだけの人達が父母や出家者に仕え、長者に従い、布薩日(皆が集まり、自己反省し、罪を告白懴悔する集まり)に人の道たる八戒を守り、説法を聞き、その前後の両日を謹んで過ごしているか。次に半月毎の十四日には、神々の王子が、更に十五日には、神々自身がこの世界を遊歴して徳を讃えて下さいます。
この様にして人間の世界を見渡して、もし徳を積む人の少ない時には、神々は善の思惟である欲や瞋りや害意のない場所に集まって、『人間の世界に於いて、父母や出家に仕えず、長者を敬わず、布薩日に八戒を守らず、その前後の両日を謹まずに過ごすと、徳を積む人は少なくなるばかりです。そして神の想いは減って、悪魔の想いが増え続けます』と悲しみます。
愚かな人の特徴は、罪を罪と知らないこと。罪を罪と知っても法の如く改めないこと。他人から罪のあることを指摘されても法の如くに受け込まないことです。
徳の大きい人が多い時には『神の想いは増え、悪魔の想いは減る』と言って喜びます。
信仰ある者にとって、徳を生ずる三つの事柄は、第一に信仰のあること。第二に施すべきもののあること。第三に施すに値する人のあることです。持戒の正しい人を見たいと思う心があり、正法を聞きたいと思う心があり、貪りの垢を離れて清らかな手を以て広く施し、求める人に施すことを楽しむことの出来る人です。
賢き人の三つの道は、身と口と意の善き業で賢き人のすがたです。
賢き人の特徴は、罪を罪と知り、法の如くそれを改め、他人から罪のあることを指摘され法の如く受け込む事です。
愚かな悪人は、自分の徳を
智慧ある善人は、自分の徳を根扱ぎにせず、心ある人に非難を受けず、嘲笑されず、更に自ら多くの徳を積み重ねます。
『増一阿含経』(孝子の家に神佛 信仰のある人 賢愚の別)
合 掌
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