ジャイナ教徒であったサッチャカに、お釈迦様は王たる道についてお話をされました。
「王たるもののつとめは、民を護ることにあります。王と呼ばれる所以わけは、民の父母ちちははであるからです。みちに依って民を護り安らかならしめるから、王と呼ばれるのです。王の民を養うことは、父母の赤子を養うようでなければなりません。父母は、赤子のことばを聞く前に湿ったものから乾いた新しい布に取り替えるように、民にさいわいを与え悩みを去り慈しみを養うからです。王は、民を国の宝となし、民が安らかでなければ、王道が立たないからです。それゆえ王たるものは、民を憂えて民の苦楽をはかり、民の繁栄を察り、そのため常に水を知り、ひでりを知り、風を知り、雨を知り、実りの良し悪しを知ることによって、民の憂えを知り、喜びを知り、罪の有無と軽重を知り、てがら有無あるなしを知って、よく賞罰を明らかにしなければなりません。このように民のこころを知って、王の威力を以て民を護り、与うべきものは時を察って与え、民のさいわいを奪わないよう、酷いみつぎを去って、民を安らかに善き護るものが王と呼ばれるのです」。
 更にサッチャカは教えを請いました。「民を護るべき方法はよく理解できました。それでは悪事を犯す者には如何に処断しおきすべきでありましょうか」。
 お釈迦様は、お話を続けられました。「悪事を犯した者にも慈しみの心をもち、智慧によってよく観察し、五法を以て処断することです。
 五法とは、一には実によって不実によらず、事実を調べて処断する事です。
 二には時によって非時(正しい時にあらざる事)によらない事です。王に力がある時は罰して効果があり、力がない時は、罰して乱れが起きるだけだからです。
 三つには義によって無義によらない事です。罪を犯した者が故意あったか、故意がなかったかを見極める事です。故意がなく犯したならば、正しい方法を教え導く事です。
 四つにはやわらかことばによってあらい語によらない事です。これは、罪が法の何れに当たるかを明らかにして、罪以外に及ばぬよう輭い優しい言葉で諭し、その罪を悟らせる事です。
 五つには慈しみの心によって、いかりの心によらない事です。これは罪を憎んで人を憎まず、慈悲の心を基本として罪を犯した者がその罪を悔い改めるよう仕向ける事です。
 この教えを以てまつりごとをしたならば、民は和らぎ国が安らいで、そのしょうを楽しむ事が出来るでしょう。

『大薩遮尼犍子所説大経』(パーリ佛典経蔵中部第三十六経)


合 掌



「加藤朝胤管主の千文字説法」の感想をお手紙かFAXでお寄せください。
〒630-8563
奈良市西ノ京町457 FAX 0742-33-6004  薬師寺広報室 宛