川の流れに船を浮かべ、楽しそうに下っている人がいました。「川下は、波が立って渦巻き、
「川の流れ」とは愛欲の生活を言い、「楽しそうに下る」とは自らの身に執着する事であり、「波立つ」とは怒りと悩みの生活を現し、「渦巻く」とは欲望の快楽を現し、「鰐と恐ろしい夜叉の住む渕」とは罪によって滅びる生活を示し、「岸から大声で叫ぶ人」とはお釈迦様の事です。『パーリ 本事経 100』
世の中に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない三つの場合があります。それは、大火災と大水害と大盗難の時です。しかし、この三つの場合においても、時としては母と子とが互いに助け合う機会があります。
ところが、母は子を絶対に救うことができず、子も母を絶対に救うことができない場合が三つあります。それは、老いの怖れと、病の怖れと、死の怖れが襲い来る時です。母の老いゆくのを、子はどのようにして代わることができましょうか。子の病に苦しむ意地らしさに、母はいくら泣いても、どのようにして病を代わることができましょうか。子の死、母の死、如何に母子であってもこの場合はどうしても代り合うことはできません。いかに深く愛し合っている母子でも、この場合には、絶対に助け合うことができません。『パーリ 増支部 3-62』
この世で悪事を重ね死に至り、地獄に落ちた罪人に閻魔王が尋ねました。「あなたは人間界にいた時、三人の天使に会いませんでしたか」。「大王よ、私はそのような人に会いませんでした」。
「それでは、年老いて腰を曲げ、杖に縋ってヨボヨボと歩く人に出逢いませんでしたか」。「老人ならばいくらでも見ました」。
「それでは、病にかかり一人で寝起きも出来ず、見るも哀れにやつれ果てた人を見ませんでしたか」。「そういう病人ならいくらでも見ました」。
「次に、周囲で死んだ人を見ませんでしたか」。「死人ならばいくらでも見て参りました」。「あなたは、老人や病人や死を
日本に伝えられた佛教は、北伝(インド⇒ガンダーラ⇒中国⇒日本)と南伝(インド⇒スリランカ⇒東南アジア⇒日本)の二つのルートがあります。南伝の初期佛教は、パーリ語で書かれた佛典です。「パーリ」とは聖典の意味で、パーリ佛典を南伝大蔵経と呼んでいます。
お釈迦様は、日常生活を通して人生に喩えた物語を優しくお示しくださっています。
合 掌
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