お釈迦様が王舎城の霊鷲山に滞在されていた時の事です。多くのお弟子様に次のようにお話をされました。
 人として学ばなければならない三つの事柄があります。即ち「かい」と「じょう」と「」です。
 例えば驢馬が牛の色に似ていても、牛の声のように啼いても、牛の姿を真似していて、牛の群れの後から附いてきて「私も牛である」と言う様に、ある者が弟子達の後から附いてきて「私も佛の弟子である」と言っても、その者には弟子達の持っているような戒と定と慧を学ぼうという志がありません。それゆえ弟子達よ、汝等は熱心に戒と定と慧を学ぶ様に志さねばなりません。
 弟子達よ。農夫が収穫の前にしなければならない事が三つあります。先ず初めによく田を耕し平らにして、正しい時に種子を撒き、時期を見て水を注ぎ、収穫前に水を抜く事です。その農夫が「今日その穀物が芽を生じてくれ、明日穂が出よ、明後日実ってくれ」と言っても不可能です。その農夫の穀物は、適当な季節の変化を受けて芽が生じ、穂が生じ、実る時が訪れます。
 丁度これと同じく我が弟子たる者も、覚りの前になさなければならない事が三つあります。即ち「戒定慧」の三学を得ることです。それゆえ汝等はこの様に志して学ばなければなりません。
 弟子等よ、農夫と同じように今日か明日か明後日中に執着を離れ、煩悩より解脱するということはありません。戒定慧を学んでいる内に、次第に執着を離れ、煩悩から解脱する時が訪れます。それゆえ汝等は、熱心に戒定慧を学ぶことに心掛けなければなりません。

 「戒学」とは、佛道修行者の修学実践すべき根本のことがらで、罪や誤りを防ぎ人倫秩序の破壊である悪を止め、戒を保ち身を制し、善き行いを為し、五官を調え、小罪にも怖れを見て、熱心に励み努める事です。
 「定学」とは、心を一点に集中して安らぎを頂き、欲を離れ、不善を離れて次第に精神を集中させ静かな心の内観に進み入り思慮分別する意識を養うことです。
 「慧学」とは、これは煩悩である、これは煩悩の集まりである、これは煩悩の滅である、これは煩悩の滅に至る道であることの道理を選び分ける判断力を自覚し、煩悩が尽きて真実を証することです。『増一阿含経』

合 掌



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