令和7年、明けましておめでとうございます。
今年の干支えとは、乙巳きのとみです。最近は、西暦で表記する事が多くなりましたが、元号と干支と年号表記は歴史を確実に記録する為だけでなく、この世で生きている間に経験することなど「人の一生」「生涯」に於いて、とても大切なものであると考えています。西暦表記は通し番号であって、ちょっと大袈裟な表現ではありますが、私にとってはとても無機質に思えてなりません。

 言葉は、「言霊ことだま」と言われるように、声に出した音声言語は現実の現象に影響を齎し、古来より良い言葉を発すると良いことが起こり、乱暴な言葉を発すると凶事が起こるとされています。日本は言霊の力によって幸せが齎される国であるからこそ、丁寧な言葉を使う事が人格の形成に繋がると評価されて来ました。自分の意見をはっきりと声に出して言うことを「言挙ことあげ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果となり、それほど言葉とともに表記は大切で、便利だから、時代の流れだから、どうでもいいことで細かいことに拘らなくても等の理由で、深く考えもしないで短絡に使用する事は人格の衰退に繋がると思います。

 元号は、古代中国で創始された紀年法の一種で、元号が使用されていた国は、台湾、中国、朝鮮、ベトナム、モンゴル等の漢字文化圏でした。現在元号表記が使用されているのは日本だけで、日本で歴史上最初に用いられた元号は「大化」です。大化元年(645)7月17日から大化6年(650)3月22日までで、同日「白雉はくち」(長門の国より白いきじが献上された)に改元されて以来、248の元号が使われています。

 「大化」から「慶応」までは慶事や災害や天変地異などの理由で、頻繁に改元が行われてきました。
 慶事の改元を「祥瑞改元」と言い、吉事・吉祥を理由としていて、飛鳥・奈良時代に多くみられます。『続日本紀』巻四には、武蔵国秩父郡黒谷で和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる自然銅が発見され朝廷に献上されたことを祝い、元号を「景雲」から「和銅」に改元されました。「神護景雲」(767~770)の元号は、瑞雲が現れたことはおめでたいことであると改元されました。
 凶事が起きた時の改元を「災異改元」と言います。天変地異・疫病・戦災などで、その影響を断ち切る為に改元されました。文政13年7月2日、京と山城で地震が起き、同じ日に阿蘇山が崩壊したことにより文政13年12月10日「天保」(1830~1844)に改元。内裏炎上、近畿地震、異国船渡来等の変異が続いたため、嘉永7年11月27日「安政」(1854~1860)に改元されました。
 「明治」以降は一世一元制に基づき改元されています。令和元年5月1日(2019)今上天皇が即位され「令和」に改元されました。
 一年間に元号が「天平」、「天平感宝」、「天平勝宝」(749)と3回変わった年もあります。
 因みに最短の元号は「暦仁」(1238~1239)で74日間、最長の元号は「昭和」(1926~1989)で62年14日間です。

 更に日本は皇紀という年号があります。
 皇紀とは、神武天皇が奈良橿原の地で初代天皇として即位された年を元年とする日本の紀年法です。『日本書紀』に基づき、元年を西暦紀元前660年に当てています。以来、第126代 今上天皇まで2685年の歴史が続いています。この様に日本の長きに亘り皇室の歴史が続いている事は世界に稀な事で、日本国民として誇りに思う歴史です。

 佛教国では、佛教紀元があります。お釈迦様が入滅された翌年を佛紀元年とし、今年は2510年です。佛紀については、改めて詳しく述べさせていただきます。

合 掌



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