憍賞弥コーサンビーにマーガンディヤーという娘がいました。両親はお釈迦様に出逢い、一目惚れして、美しい一人娘のマーガンディヤーを嫁がせようとしました。しかしお釈迦様は、「娘の悪心は穢れた肉体にすぎません。悪心を持った肉体は、不浄でおぞましいものです。どうして清らかで美しいと執着するのですか」と両親の申し入れを断りました。高慢な娘は、この一言で誇り高い自尊心に傷が付き、お釈迦様に深い恨みを抱くようになりました。一方、娘と違って両親は、お釈迦様の教えを素直に聞いて深い信奉者となりました。
 その後娘のマーガンディヤーは優顛王ウデンオウに嫁ぎましたが、自らの地位と名誉の欲望を手に入れる為、娑摩婆帝サーマワテー皇妃の陰口を盛んに優顛王ウデンオウに伝え皇妃を死に追いやり、遂に自らが第一皇妃としての地位を奪う事に成功しました。

 ある時、お釈迦様は憍賞弥コーサンビー瞿師多クシタ長者が建立した瞿師多精舎にお入りになりました。今や優顛王の第一皇妃となったマーガンディヤーは、お釈迦様に恨みを晴らすため、報復する機会を待っていました。お釈迦様が憍賞弥コーサンビーに遊行されたことを聞いて、城内の悪漢に賄賂を送り、お釈迦様の悪口を言い触らせました。
 托鉢に行く度にお釈迦様の誹りを聞かされた阿難は、お釈迦様に「このような町に滞在せずに他にも多くの町があるので他の町に移動しては如何でしょうか」と申し上げると、お釈迦様は「阿難よ、もし他の町へ移っても、その町で非難の声が起きたらどうしますか」。「また次の町に移ります」。「阿難よ、それでは何処まで行っても限りがないではありませんか。私は誹りを受けた時にはじっと堪え、その誹りが終わるのを待って他に移るのが良いと思います。修行者は、とくそこないそしりほまれたたえあざけりくるしみたのしみの八法によって動かされるものではありません。この誹りも七日も過ぎたら終わるでありましょう」と教えられました。

 マーガンディヤーの企ても甲斐なく、お釈迦様への尊敬が増すと共に誹りも治まりました。今やマーガンディヤーは、焦燥いらだたしさに堪えられなくなりました。幾たびも企てた誹謗中傷もその効果がなく、大王は既にお釈迦様の信奉者となり、多くの悪業を重ねたマーガンディヤーを罰しました。『雑阿含経 離婬の法』

合 掌



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