お釈迦様の在世当時、ガンジス河流域にラージャグリハを首都とするマカダ国と、シュラバスティを首都とするコーサラ国がありました。
 聖なる川のガンジス河の近くに、マハラジャ(大金持ち)と二人の息子が住んでいました。
 長寿を全うしたマハラジャの息子は、田舎にある土地を売る事にしました。何と金貨千枚もの高値で売れました。帰り道、兄弟はガンジス河の船着き場で弁当を食べながら、兄は「腹いっぱい食べられるのはお父さんのお蔭で、有り難いことだね。ガンジス河のお魚にも食べ物を分けてあげよう」と言って河の神様に手を合わせながら魚たちに食べ物を投げてやりました。
 すると弟は横目で兄を睨み付けてつぶやきました。「魚なんかに餌をやるなんてつまらない事をする」と兄の行動が気に入りません。
 お弁当を食べてお腹がいっぱいになった兄は横になり、うとうとと居眠りを始めました。不機嫌な弟は、この様子を見ていて「こんな大金を持っていながら居眠りをして油断するなんて、信じられない」。欲深い心を起した弟はふと、金貨千枚を独り占めしてやろうと思い、同じような袋に石を詰め、すり替えようと考えました。
 暫くして渡し舟が来ると弟は、「さぁ兄さん。目を覚まして早く乗って」。弟は気付かれないように金貨の入った袋と、石の入った二つの袋を渡し舟に乗せました。弟は途中で石の入った袋を川に落とし、金貨の入った袋を自分の物にしようと思っていました。川の中程に差し掛かった時、舟がぐらっと揺れたかと思うと、弟は「大変だ。お金の入った袋が落ちてしまった。」と叫びました。兄も慌てて河を覗きましたが、重い袋は河の底に沈んで見えなくなってしまいました。お兄さんは「お金で良かった。おまえが落ちたのなら大変な事になる処だった」と胸をなでおろしました。
 ところが弟は大変なことに気が付きました。落としたのは石の入った袋ではなく、金貨の入った袋だったのです。 河の神様は、弟の悪巧みの一部始終をちゃんと見ていました。そして心の優しい兄のために神様は大きな魚に金貨の袋を飲み込ませました。

 暫く経ったある日、漁師が魚をとっていました。大きな魚が網に掛かりました。神様が金貨を飲み込ませた魚でした。金貨を飲み込んでいる魚と知らずに漁師は早速「世界一の立派な魚だよ。買う人はいないか」と町へ売りに出掛けました。町の人は何処にでもいる魚なので、誰も買おうとしません。 やがて漁師は兄弟の住む家の前を通り掛りました。家の中では、自棄やけを起こした弟が酒を飲み酔っぱらって寝ていましたが、「魚はいらんかね。」という漁師の声を聞いた兄が出てきました。「いくらですか」と尋ねると漁師は「本当なら金貨千枚と言いたいところだが、あんたの顔を見ると、どういう訳かお金をもらう気になれない、只でいいよ。」兄の妻が早速料理をすると、お腹から金貨の入った袋が出てきました。ビックリです。
 その時、どこからともなくガンジス河の神様の声が聞こえてきました。「欲張りな弟が、舟を揺さぶり、石の袋を投げ込んで、金貨を独り占めにしようとしましたが、間違えさせたのはこの私です。兄を裏切る弟に、金貨を渡すわけにはいきません」。
 兄は言いました。「間違いを起こそうとした弟は、私にとってかけがえのない弟です。金貨は半分ずつ分けます」その言葉を聞いてはっと目が覚めた弟は、心を入れ替えて兄に謝りました。それから兄弟は、助け合って仲良く暮らしました。
 インドに伝えられた昔話です。

合 掌



「加藤朝胤管主の千文字説法」の感想をお手紙かFAXでお寄せください。
〒630-8563
奈良市西ノ京町457 FAX 0742-33-6004  薬師寺広報室 宛