お釈迦様がお悟りを開かれて4年目、舎衛国の祇園精舎で雨季の5月に安居あんごの修行をされておられました。雨季にも拘らず旱魃かんばつが長く続き、何れの河川も水が減り田畑の灌漑に影響が出始めました。カピラ城とコーリ城の間には、ローヒーニ河が流れていますが、穀物の実る大切な時なのに水が足りません。両城の農民は互いに悪口を言い、剣を抜いて争いを始めようとしていました。

 噂をお聞きになったお釈迦様は、両軍の間にお立ちになりました。今にも争いが始まろうとする様子をご覧になったお釈迦様は、両首領を集めて仰せられました。「なぜここに集まったのですか」「戦うためであります」「どのような理由で戦おうとするのですか」「灌漑の水についてであります」「人の命と水と比べどちらが大切ですか」「申すまでもなく人の命が大切です」「何故に水のために尊い命を大切にしないで奪い合うのですか」
 お釈迦様は両城の農民に次のお話をされました。

 山の奥のパナダ樹の根元に黒皮の獅子が住んでいて、寝転んで獲物が来るのを待ち伏せていました。ある時、強風が吹き枯れ枝が折れ、獅子の背中に落ちました。驚いた獅子は、我を忘れて走り出しましたが、そっと振り返ってみると、何も追いかけてきません。そこで獅子は「これは樹の神が私を憎み、根元から追い出そうとしたのに違いない」と勝手に思い込み、腹を立てて樹の幹に嚙みつきました。「私はお前の葉を一枚も食べた事も無ければ、枝を折った事も無い。私はお前を許さない。その内に根こそぎ抜いて切り刻んでやる」と怒りをぶちまけました。
 そこへ車作りの大工が通りかかりました。獅子は大工にパナダ樹の在処ありかを知らせてやりました。大工が早速鋸で樹を切り始めると、驚いたのは樹の神です。「お前は樹を切って車を作ろうとしているが、その車輪に黒獅子の毛皮を張ると丈夫で立派な車になる。あの黒獅子を殺して皮を張るがよい。」と教えました。大工は早速樹の神の言う通り黒獅子を捕らえ、立派な車を作りました。バナダ樹は切り倒され、黒獅子も死んでしまいました。

 「両城の民よ、人間はつまらない誤解の為に争いを起こし、互いを傷つけ殺し合うものです。人は冷静で正しい判断をしなければなりません。つまらない誤解がもとで、全ての人々が間違いを起こして悲惨な最後を迎えることの無いようにしなければなりません」とお諭しになりました。『ジャータカ 475 黒獅子物語』