三河国岡崎城主松平広忠の長男として天文11年(1542)誕生した徳川家康は、幼名を竹千代といいます。元和2年(1616)4月17日駿府城において75歳の生涯を閉じました。

 江戸幕府の初代将軍である徳川家康は、慶長8年(1603)征夷大将軍となって江戸に幕府を開き、慶長10年(1605)秀忠に将軍職を譲った後、駿府に隠棲し徳川幕府の基礎を築きました。260年という長期安定政権は、家康が作った統治基盤があったからこそと評されています。

 ここに日常生活で信念を持って貫いていた家康の精神性を紹介します。

  • 〇 人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。
  • 〇 滅びる原因は、自らの内にある。
  • 〇 人の一生は 重きを負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
  • 〇 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
  • 〇 己を責めて、人を責むるな。
  • 〇 最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。
  • 〇 誠らしき嘘はつくも、嘘らしき誠を語るべからず。
  • 〇 決断は、そんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。
  • 〇 愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。
  • 〇 大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである。恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで、憎まれている。だから大将というのは 勉強しなければならないし、礼儀をわきまえなければいけない。いい家来をもとうと思ったら、自分の食を減らしてでも 家来にはひもじい思いをさせてはいけない。家来というのは録でつないではいけないし、油断させてもいけないし、近づけても遠ざけてもいけない。家来は ほれさせなければならない。

 徳川家康の生涯における名言は、あまり知られていませんが、安定した基本的信条が徳川幕府の基礎を構築したのではないでしょうか。
 日頃からとても忍耐強く、決して贅沢はせず質素な生活を心掛けていて、また家臣を大切にする心を忘れなかったので、皆から慕われたそうです。また何が一番大切な事か善悪の判断ができ、常に感情的にならず、理想のために行動する実行力の持ち主だったようです。