「金次郎は16歳の時母を失いました。やがて2人の弟は母の里に引き取られ、金次郎は万兵衛という叔父の家へ行って、世話になりました。
 金次郎はよく叔父の言いつけを守り一日働いて、夜になると、本を読み、字を習い、算術の稽古をしました。叔父は油がいるのを嫌って夜学を止めましたので、金次郎は自分で油菜を作り、その種を町へ持って行って油に取り換え毎晩勉強しました。叔父が、本を読むよりはうちの仕事をせよ。と言いましたから、金次郎は夜遅くまで家の仕事をして、その後で学問をしました。
 金次郎は20歳の時自分の家へ帰り、精を出して働いて、後には偉い人になりました。」

 このお話は、昭和3年に発行された『尋常小学修身書』に登場するお話です。
 薪を背負いながら本を読む姿の像で有名な二宮金次郎は、江戸時代後期の人です。現在の神奈川県小田原市栢山かやまに、百姓・利右衛門の長男として天明7年7月23日(1787)に生まれ、安政3年10月20日(1856)に逝去するまで69年の生涯です。14歳で父・利右衛門が死去、2年後には母・よしも亡くなり、金次郎は伯父・万兵衛の家に身を寄せて、伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させて収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功します。

 二宮金次郎の精神は、現代で必要な事ばかりです。
 〇「大事を成さんと欲する者はまず小事を務むべし。大事を成さんと欲して小事を怠り、その成り難きを憂いて、成り易きを務めざる者は、小人の常なり。」

 〇「それ小を積めば大となる。善悪と言っても、天が決めたものではなく、人間にとって便利かどうかだけの話である。」

 〇「道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は、寝言である。人道は一日怠れば、たちまちすたれる。」

 〇「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。術策は役に立たない。」

 〇「キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」等解り易く説かれています。

 私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されるという「報徳思想ほうとくしそう」を説き、指導者として活躍した二宮金次郎は、倹約を奨励しその才能を見込まれて財政建て直しを頼まれたりするなど、私達が模範とする偉人です。