今年も6月に入ると薬師寺地蔵院の中庭に夏椿の花が咲きはじめました。
 平安時代から鎌倉時代にかけての貴族の栄華や没落、武士階級の台頭など、様々な人間模様が描かれている『平家物語』は、鎌倉時代に成立したとされています。冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」は有名な書き出しで、広く知られています。

 「祇園精舎」は、お釈迦様の在世中、印度のコーサラ国に建立された佛教史上2番目の寺院(精舎)で、雨期の間は遊行ゆぎょう(托鉢などの修行)ができない為、出家者が建物内で修行するための施設です。お釈迦様は祇園精舎で19回に亘り雨安居うあんごされました。雨安居とは、雨期の間外出すると草木や小虫を知らずに踏み殺す恐れがあるとして、洞窟や精舎に籠って修行に専心する事です。

 「諸行無常」は、「諸行無常 是所滅法 生滅滅已 寂滅為楽」と『涅槃経 聖行品』に説かれる一偈です。「諸行無常」とは、万物は常に転変して止むことがなく、作られたものは、全て移り行くという正に佛教の基本の教えです。令和3年5月10日の千文字説法 第45回「施身聞偈」の項に詳しく書かせて頂いています。是非お読みください。

 お釈迦様が80歳で入滅(涅槃)されたのは、クシナガラ郊外の沙羅樹林でした。身の回りのお世話をしておられた阿難を呼び、「背に激しい痛みを覚える。座を敷いてもらいたい。」と仰せられ、跋提河の西の岸、沙羅双樹の間に於いて頭を北にして、顔を西に向け右脇を床に付けて、足を重ねて静かに臥されました。その時、沙羅の樹は一斉に白い花を咲かせました。あたかも鶴が飛び来って枝に止まったかのようでしたので、お釈迦様入滅の折の沙羅林を「鶴林かくりん」と呼んでいます。時ならず咲いた白い花は、雨のようにお釈迦様の身体に降り注ぎました。その様子が『般泥洹経』に説かれています。

 『平家物語』に登場する日本の沙羅双樹は夏椿で、ツバキ科ナツツバキ属の落葉中高木です。別名シャラノキと呼ばれています。初夏に椿に似た白い花を咲かせますが、印度の沙羅双樹(フタバガキ科)とは、別の種類です。江戸中期にお釈迦様入滅の地に生える沙羅双樹を夏椿に充てるようになったそうです。
 朝に開花し、夕方には落花する一日花で、正に佛教の「諸行無常」の教えに相応しい花です。