『イソップ物語』は、紀元前6世紀にアイソーポス(イソップ)という奴隷が話を作ったとされていますが、永年に亘り書き加えられ寓話集が成立しました。「狼と鶴」「狼と子羊」「狼とサギ」等、題名は違いますが似たような内容の短い話として登場します。またギリシャ語版、ラテン語版、フランス語版にも関連した原文があります。

 一方「ジャータカ」(ⓈⓅ Jātaka 闍陀迦、闍多伽)は、本生譚ほんじょうたんとも言い、お釈迦様がお生まれになる前に動物(人物)等に生を受けていた佛教の前世物語です。紀元前3世紀ごろに古代インドで伝承されていた説話等が元になり、そこに佛教的内容が付加されて成立したものと考えられています。
 ジャータカの逸話は、『イソップ物語』にも大いに影響を及ぼしたため、登場動物(人物)は違うものの、同じあらすじとなっています。また日本に於いて『今昔物語』等も影響を受けています。『ジャータカ物語』は、パリー語経典、大蔵経本縁部等に納められています。

 『ジャータカ物語』の308番は、「ライオンとキツツキ」が登場する鳥の前世物語です。
 お釈迦様が祇園精舎にお出でになった時、ダイバダッタの恩を仇で返す行為について以下のようにお話しされました。

 昔、バラナシでブラフマダッタ王が国を治めていた時のことです。ヒマラヤ地方の森に一羽のキツツキが私の前世として生まれました。その森にいたライオンが肉を食べていて、喉に骨が刺さってしまいました。激しい痛みを伴うライオンは餌を採る事が出来ず、キツツキに骨を取ってくれたら褒美をあげようと助けを求めました。するとキツツキは「ライオンさんの為にこの骨を取り除いてあげたいけれど、口の中に入ると私が食べられてしまうから、怖くてライオンさんを助ける事が出来ません。」するとライオンは、「怖がらなくてもいい、私はキツツキさんを食べたりしません、だから私を助けてください」と懇願しました。
 キツツキは「わかりました」と、ライオンの上顎と下顎の間に棒を立てて口を閉じることができないようにしてから、ライオンの口の中に入り刺さった骨を取ってあげました。

 喉の怪我が治ったライオンは、早速森に入って獲物を捕って食べました。その様子を見ていたキツツキは、ライオンの頭上の枝に止まって、話し掛けました。
 「私はライオンさんの為に力の限りのなすべきことをしました。ライオンさんの感謝の思いをお聞かせください。」
 するとライオンは「血を飲み食いする私の口の中に入って来たのに、今お前が私に食べられずに生きている事自体、驚くべきことだ」と答えました。それを聞いてキツツキは更に話し掛けました。「ライオンさんの為に骨を取ってあげました。でも恩知らずのライオンさん、感謝の思いがないライオンさんのお世話は、無益でした。報恩の念がないライオンさんの命を救うために行っても、友情が得られなければ、ねたまず、ののしらず、ゆっくりと悪人から離れる事が賢明です」と。
 話し終わるとキツツキはそこから飛び去っていきました。
 お釈迦様はこのお話の最後に、「その時のライオンはダイバダッタであり、キツツキは私でした」とおっしゃいました。

合 掌



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