昔、インドのカーシ国の首都であるヴラナシーにブラフマダッタという王様が国を治めていました。カーシー国はガンジス川中流域の国で、上流に深い谷がありました。
その谷には美味しいマンゴーの樹が沢山生えていて、猿の王様と共に500匹の猿が幸せに暮らしていました。大きなマンゴーの樹には沢山の実が生り、一度食べたら一生忘れられないほどの美味しさでした。
ある時、猿たちがマンゴーの実を食べにやって来ました。夢中で食べている猿たちを見て、猿の王様は考えました。こんなに美味しいマンゴーの実が川に落ちて人間のところへ流れて行ったら、人間が取りに来るに違いない。猿の王様は「マンゴーの実を川に落とすんじゃないぞ。もし人間たちがこれを食べたら大変なことになるから、1つ残らず取ってしまいなさい。」ところが猿たちは、1つの実を見落としていました。ある日熟れたマンゴーの実がガンジス川へ落ち、城のあるヴラナシーの町に流れ着き、カーシ国の王様へ届けられました。甘く香り高く一度食べると忘れられない美味しいマンゴーを食べた王様は言いました。「何と美味しい実だ。この実を探すのだ」と、家来を連れて王様はガンジス川の上流にやってきました。王様はこの美味しいマンゴーの実の生る樹に辿り着きました。早速、味わってみると大満足です。
ところが樹の傍まで行くと何時ものように猿の王様に連れられた沢山の猿が何も知らずに美味しそうにマンゴーの実を食べていました。マンゴーを食べている猿を見付けた王様は、「猿に食べさせるなんて贅沢だ。矢で撃ち落としてしまえ」と命令すると、早速家来たちは猿を目がけて矢を放ちました。それに気づいた猿は、慌てて猿の王様に知らせました。「大変です、人間たちが、私たちを殺そうとしています」王様は「大丈夫です。慌てないで私に任せなさい」。伸びている枝から反対側に飛び移った猿の王様は、急いで籐の蔓を川幅の長さに繋ぎ、片方を自分の腰に巻き付け、もう片方を岸辺の木の枝に結び付けて、谷から向こう岸まで藤蔓の橋を作ろうと考え、マンゴーの樹に飛び移りました。ところが、蔓の長さが少しだけ足りません。谷を蹴って飛び出した猿の王様は、マンゴーの枝を両手でしっかりと握り、自分の背中を橋にして猿を渡らせました。手が千切れそうになりながらも、苦しみに堪えていましたが、最後の猿が渡ったのを見届けると、とうとう力尽きて川に落ちてしまいました。カーシ国の王様と家来達は、その様子を黙って見ていました。猿の王様の行動に感動したカーシ国の王様は、家来に命じて急いで猿の王様を助けてやりました。猿の王様が助けられるのを見ていた500匹の猿の仲間は、安心しました。
「なぜ自分の命を賭けてまで仲間を助けたのですか。」とカーシ国の王様は猿の王様に尋ねました。「仲間の猿を守るのが、王である私の勤めです。」「なんと立派な猿でしょう。私も見習わなければなりません。」「猿たちの幸せを壊して悪かった。このマンゴーは猿たちのものだ」。感動した王様はヴラナシーに 戻り、国民の皆が幸せに暮らせるように国を治めました。それからはどんな時でも人々の幸せを一番に考える、心優しい王様になりました。
『ジャータカ物語』でこのお話に登場する猿の王様は、お釈迦様の前世の姿です。カーシ国の王様は、お釈迦様の十大弟子で「多聞第一」であるアーナンダ(阿難)の前世の姿です。命を犠牲にして他者を救うお釈迦様の布施行であり、弟子として教えを実践したアーナンダの菩薩行です。
王様とは最高責任者です。自分の権力を安定させ、自分の懐を肥やすことを目的として悪政を敷く王様もいますが、決して幸せな国とは認めてもらえません。猿の王様は、自分の命を犠牲にしてでも500匹のサルの命と、群の幸福と平和を守りました。その充実感こそが、王様として唯一の報償です。王様は、贅沢三昧で民を搾取して生きる為ではなく、その民を我が子のように愛し、守る為に存在するのです。王様のつとめは、国民に痛みを伴う政治を進めることではなく、自分が苦難を受けながらでも国民を幸せにすること(菩薩行)です。国民を幸せにすることに国の命が委ねられています。
国王たるものは、自らの身をも顧みずに、国民の為に尽くさなければなりません。それが「王様としての心得」と教えられています。
合 掌
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