落語や浪曲に登場する江戸時代のお話です。嘉永年間(1848~1854)に、大阪西町に佐々木信濃守というお奉行様がおられました。実在のお奉行様で名奉行として大層評判でした。
 そこで子どもたちの間で、名奉行のお裁き振りを真似する遊びが流行っていました。その中に四郎吉というこまっしゃくれた子どもがいました。お忍びで市中を見回っていたお奉行様は、四郎吉のお裁き遊びに出逢います。そのお裁き振りが理に適っていたので感心したお奉行様は、早速四郎吉を奉行所へ呼び寄せます。

 奉行所に呼び出された町役(現在であれば自治会長)と父親に伴われて四郎吉は、訴訟を裁判したり罪人を取り調べるお白洲に出廷するのですが、町役や父親は、恐怖に怯え困惑しています。しかし四郎吉は平気です。
 お奉行様である佐々木信濃守は、お裁き遊びの奉行役をしていた四郎吉に「予の訊ねる事に何でも答えるか」と問いかけます。すると四郎吉は「知っていることであれば何でも」と答えます。
 そこでお奉行様は「夜になると星が出るな」すると四郎吉は「お星さんは昼間でも出てはりまんねんで。お天道さんのお照らしがきついので見えんだけで、日食言うて、お天道さまが陰る事おまっしゃろう。その時お星さんは昼でも光りますわ」四郎吉の明快な答えに、お奉行様は納得します。
 「左様か、それでは星の数を存じておるか」と質問します。すると四郎吉は「お奉行さん、このお白洲の砂利の数知ってはりますか」お奉行様の答えは「砂利の数など判ろう筈がない」「手に取って触れるもんでも判らんのに、あんな高い処の星の数、わて知らんわ」「しからば予は砂利の数を読む。天に昇って調べてまいれ」四郎吉は「わては天に行ったことがない。数えてきますので、道案内を一人お頼み申します」と。またもやの明解にたじたじで、四郎吉に頭が上がりません。

 そこでお奉行様は、三宝に乗せたお饅頭を四郎吉の前に運び「饅頭を取らす、遠慮なく食すが良い」と褒美を差し出します。「おつぁん、時々おまん買うて来てくれますけど、こんな上等やない」「では母親は何を買うてくれるな」「おんは何んにも買うてくれへん。小言ばかり食らわしおる」「小言を食らわす母親と、饅頭を買うてくれる父親とそちは何れが好きじゃ」「お奉行さん、この二つに割ったお饅のどっちが美味しいと思わはりますか」「そうじゃ、どちらも味の変わる筈がない」「お母んかて、わての事を思って叱ってくれはる」両親の教えを知らず知らずに身に付けている正直な回答に感心します。
 お奉行様の質問に頓智で答える四郎吉に、お奉行様は「座敷に飾られている衝立の絵の仙人が何と言っているか聞いて参れ」と問い掛けると、四郎吉は「『佐々木信濃守は馬鹿だ。絵の中の人物が話すわけがないのに』と申しております」と答えました。その回答に怒るどころかますます感心するお奉行様です。

 真実を見つめる素直な求道の精神が、人々の心を打ちました。四郎吉の持ち前の頭の良さは、いつの時代にも親しまれ尊敬されました。その敬愛の念が機に応じてはたらく頓智に長けた四郎吉を「佐々木裁き」として、落語や浪曲、更には小説やテレビドラマにもなり、伝説化されて、権力を振るう悪徳支配者を遣り込める説話となり取り上げられています。
 現実に存在することを冷静に正しく判断して、嘘偽りのない事実を素直に表現する言葉と行動が信頼であり、永遠に変わる事の無い宇宙の真理です。

合 掌



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