お釈迦様の入滅後、佛教は、大衆部佛教と上座部佛教とに分かれます。大衆部佛教は、北伝佛教としてガンダーラを経て中国から日本へ伝えられました。一方上座部佛教は、南伝佛教としてスリランカを経て東南アジアへ伝えられました。パーリ語で書かれた経典で、紀元前1世紀の初め、セイロンで注釈と共にはじめて文字に移されたと言われています。
日本語への翻訳は、昭和10年(1935)から昭和16年(1941)にかけて、高楠順次郎博士が『南伝大蔵経』65巻70冊として全訳刊行されました。
佛教の開祖であるお釈迦様を歴史的人物として、その生きる姿を最も身近に受け止める事が出来る経典の一つが『スッタニパータ』です。「スッタ」とは「たていと」「経」の意味であり「ニパータ」は「集成」という意味です。
お釈迦様が明らかにした永遠の真理を伝える言葉です。そして最も古い聖典の一つで、お釈迦様の言葉に最も近い詩句を集成した聖典と言われています。
新年早々の能登半島地震で大きな災害が齎らされました。謹んでお見舞い申し上げます。何も元旦に地震を起さなくてもいいのにと思いますが、自然の営みは人類の都合に合わせてはくれません。多くの人々が飢えと寒さと災害の猛威に、とても悲しい気分になり、力が失せてしまいます。
ある人から「あなたが悲しんでも、被災した人たちには何も届かない」と言われました。寄り添う事がせめて今できる事と、一日も早い復興を日々お薬師様にお願いしています。
自分の気持ちに正直になることが大切で、悲しい時はその気持ちを、力が出ない時は、無理に何かをしようとしない事です。軽率な行動は、却って支障をきたします。ありのままの心を大切にすれば、自分の出来る事がおのずと見えてきます。私も自らを見失いそうになった時、「声を聞いて心が軽くなりました」「千文字説法を読んで勇気をもらいました」と言っていただいた、そうした言葉に力を頂き、今何をしなければならないのか自らの行動が見えました。
お釈迦様は「慈しみ」を短くて簡潔な言葉で示されています。まず「慈しみ」とは、どういうことなのでしょうか。これについて『スッタニパータ』で詳しく語られています。そして、お釈迦様は慈しみのある人についてお話しされました。誰もが理解できる機会をしっかりと見極められました。いくら正しいことを言っていても、それがまっすぐに伝わらなければ意味がありません。状況を把握しないでお話しすると、相手にとって厄介なお説教になってしまいます。そうならない様に最善の注意が必要です。
『スッタニパータ』第1蛇の章 8慈しみ に次の様に述べられています。
何びとも他人を欺いてはならない。たとえどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。「148」
あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、慈しみの意を起すべし。「149」
また世界に対して無量の意を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。「150」
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。「151」
合 掌
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