令和6年 甲辰きのえたつ歳 明けましておめでとう御座います。

 今年は、「元号」である「令和」と「年号」の「6年」と「干支えと」の「甲辰きのえたつ」を組み合わせたものです。
 日本で元号が使われるようになったのは、飛鳥時代 (7世紀中頃)で、遣唐使の留学生が政治、経済、文化と共に暦制度を唐から学び伝えました。中でも天文地理学や暦制度は、古墳時代から飛鳥時代にかけて日本に伝わっていたようです。
 時間を日・月・年の単位で区切り、数字や言葉を当てる方法を日本でも採用しました。中国に倣った暦制度を使用することにより、日本の歴史が明確に記されています。

 日本で最初に付けられた元号は「大化」で、西暦645年に当たります。以来欠かすことなく元号が改元され「令和」は248番目の元号です。元号と年号と干支表記が日本の歴史を明確にしています。
 日本における元号の使用は、豪族を中心とした政治から天皇を中心とする政治への改革がすすめられ、孝徳天皇即位の最初から新たな時代の始まりとして元号の制度を中国に習い取り入れ、日本で最初の元号である「大化」と定めました。「大化」の意味は、「徳によって教化する。また、徳によって教化される。限りない徳をもって他を導く。広大無辺の大いなる徳化」という意味です。また「日本」という国号や「天皇」という称号もこの頃から正式となったとされています。

 元号とは、古代支那で創始された紀年法で、基本的に年を単位としています。漢の武帝の時代(紀元前2世紀頃)に始まった制度と言われています。しかし、中国における元号の使用は最後の王朝である清と共に滅んでしまいました。歴史を明確にする完璧な制度を廃止してしまう事は、とても残念でなりません。
 現在の日本は、天皇陛下が変わるたびに改元されていますが、大化から慶応までの時代は、慶祝や天変地異による災害などを理由に改元が 行われました。その中で最長の元号が「昭和」で最短の元号は「暦仁りゃくにん」(1238〜1239)で、わずか2ヶ月半という短期間で次の「延応」に改元されました。

 古代中国にはじまる「暦制度」は、年・月・日・時間・方位・角度等に用いられました。干支(えと・かんし)は、十干と十二支の組み合わせが60種あり、60年を周期として最初に戻る為「還暦」として祝い事をする民間行事となっています。

 令和6年の干支である「甲辰」の「甲」は、草木の芽生え。鱗芽のかいわれの意味を持ち、草木の形が整った状態を表しているとされています。

干 支(え と)
        き    ひ    つ    か    み
五 行    え木と  え火と  え土と  え金と  え水と 
十 干     乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
十二支    子 丑 寅 卯  巳 午 未 申 酉 戌 亥

辰の縁起・功徳は次回1月8日にお話しします。           

合 掌



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