東塔(国宝)は、白鳳時代を代表する建造物として白鳳文化の真髄と讃えられています。西塔は、享禄元年(1528)の兵火によって焼失しましたが、般若心経のお写経の功徳により、昭和56年4月に創建当時の姿に蘇りました。
 長和4年(1015)に撰述された『薬師寺縁起』に、東西両塔の内陣にお釈迦様の生涯を現した「釈迦八相像」が祀られていた事が記されています。当初の釈迦八相像は、塑像で作られていた為、江戸時代には著しく破損していて、現在は八相像残欠(重要文化財)として別保存されています。
 東塔には、お釈迦様が釈迦国の王子として誕生し、出家し悟りに至る前半生を因相として令和5年4月に、西塔には成道後入滅までの後半生を果相として平成27年に復興しお祀りしています。

東塔 因相
①受胎
お釈迦様の母マヤ夫人は、ある夜六牙の白象が右脇から入る夢をご覧になりました。ゴータマシッダールタ(お釈迦様)の懐妊です。

②出生
出産の為実家に帰る途中、ルンビニ園で休憩されました。美しく咲き誇る無優華の花を一枝手折ろうとした瞬間、王子様がお生まれになりました。西暦紀元前565年4月8日の事でした。 

③受楽
釈迦族の皇太子としてお生まれになったゴータマシッダールタ(お釈迦様)は、29歳まで優雅な生活を過ごされました。不平等な現実に疑問を抱き、人々の幸せを願い出家を決意されました。

④苦行
地位も名誉も財産も全て捨て、断食の苦行を6年間続けられました。しかし肉体を苦しめても悟りを開く事が出来ない事に気付き、尼連禅河で沐浴しスジャータから乳粥の供養を受け、健康を回復されました。

西塔 果相
⑤成道
苦行を捨てたゴータマシッダールタは菩提樹の下で瞑想にふけり、曉の明星の輝きを得てお悟りを開かれました。西暦紀元前531年12月8日早暁の事でした。

⑥初転法輪
お悟りを開かれたお釈迦様は、鹿野苑で5人の比丘に「縁起の法」を説かれました。しかし五比丘は全く理解できませんでした。お釈迦様がお悟りになった「縁起の法」を最初に理解したのは舎利子でした。お釈迦様は45年間に亘り布教活動を続けられました。

⑦入滅
80歳のお釈迦様は、クシナガラで病に倒れ、沙羅双樹の林で入滅されました。西暦紀元前486年2月15日の事でした。空には満月が輝き、多くのお弟子様をはじめ動物や鳥や虫までもお釈迦様の最後を悲しみました。

⑧分舎利
マッラ族の習慣に従い、お釈迦様を荼毘(火葬)に付しました。佛舎利は8ヶ国に分けられました。佛舎利信仰の始まりです。

お釈迦様の生涯を東西両塔内陣にお祀りしています。多くの皆様のご参拝をお待ちしています。

合 掌



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