お釈迦様は、人の心のあり様を重んじて、日々の積み重ねによって怠け心を清らかな心に変え、心穏やかで楽しく幸せな生活を営む事が出来るよう説かれました。
 人々の心は、迷いの世界を作り出したり、悟った世界も作り出します。迷い苦しむのも、苦しみから解放されて悟りに至るのも全て心のあり方にかかっています。存在するものの見方は、精神がすべての根源です。

 紀元前6世紀にインドで発生した佛教は、お釈迦様の入滅後、受け取り方の違いから分裂し、部派佛教が生まれ、更に大乗佛教が現れました。
 大乗佛教は経典のみの時代から、経典の内容を論ずる学派の時代、更に別の学派が生まれ、その後新しい種類の大乗経典が時代と共に現れ変遷を続けます。
 大乗は、理想の修行者像を阿羅漢ではなく菩薩と呼び、自利行と共に利他行も実践すると教えました。苦悩する衆生を救済し、この世のすべてが救われて初めて悟りの世界に入る菩薩の姿を尊びました。

 大乗佛教で、学派の始まりである経典の内容を論ずる僧侶集団を「中観派ちゅうがんは」と名付け、弥勒菩薩が説いた「唯識」の教えを打ち立てる学派を「瑜伽行派ゆがぎょうは」と名付けました。その教えをガンダーラに生を受けた無著むじゃく(アサンガ)と世親せしん(ヴァスバンドゥ)の兄弟が引き継ぎ、多くの論を著わしました。

 唯識の思想を理論的に論述したのは世親の『唯識二十論』です。唯識思想を知るには、瑜伽行派が最も重んずる『瑜伽師地論』を理解しなければなりません。唐の玄奘訳『瑜伽師地論』百巻はこの論の全訳です。前半部は瑜伽行派の、後半部は瑜伽行唯識派の教えです。
 唐の玄奘三蔵は、出家して間もない頃、勉学に勤しむ中で『十七地論』の存在を知りますが、十分に理解することができませんでした。そのため、インド求法の旅を決心しました。玄奘三蔵がインドで学んだ場所は、ナーランダ寺です。そこで直接教えを受けたのが護法ごほう(ダルマパーラ 6世紀中後期)の直弟子である戒賢かいげん(シーラバドラ)でした。つまり玄奘は護法の孫弟子に当り、瑜伽行派思想を受け継いだ直系です。帰国後、最初に翻訳したのが彌勒菩薩が説いた『瑜伽師地論ゆがしじろん』でした。

 無著と世親の前期唯識派と護法の思想は、玄奘訳を通して中国に伝わり、日本の南都に引き継がれました。
 飛鳥時代に日本に伝えられた佛教は、朝廷の厳しい管理の下、国家の繁栄を祈願すると共に学問佛教として国家佛教となりました。資格が与えられ僧侶は、佛教の各分野を研鑽する超エリート集団でした。中でも法相の教えは、白雉4年(653)衆生の救済を目指す大乗佛教の教えとして日本に伝えられています。

合 掌



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