お釈迦様は東の空の曉けの明星の輝きを見て、お悟りを開かれました。西暦紀元前531年12月8日の早暁でした。この世の中に奇跡がない事を明確に示し、すべては原因があって結果が生まれる「縁起の法」をお悟りになりました。
 更にお釈迦様は、多くの人々は世界が「無常」であるのに「常」と見ているし、「苦」に満ちているのに「楽」と捉え、人間本来の自我は「無我」であるのに「我」と考え、「不浄」を「浄」として逆さまで間違った見方をしていることを指摘され、苦悩の原因を明確にされました。
 『般若心経』に「一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す」と登場するように、世間を逆さまに見たり、実現しない夢を追い掛けたりしている現実から目覚めるように教えてくださいました。

 一切の生きとし生ける生類しょうるいのことを、「衆生しゅじょう」と呼んでいます。サンスクリット語は sattva、パーリー語は sattaを意訳しました。玄奘三蔵は同じ印度の言葉を「有情うじょう」と翻訳しました。基本的には迷いの世界にある生類を指します。
 佛教において三つ教えがあります。
1 すべての形成された現象は、絶えず変化する無常なものである。という諸行無常の教えです。
2 すべてのものは因縁によって生じたものである。という諸法無我の教えです。
3 ニルヴァーナ(悟り)は、安らぎである。という涅槃寂静の教えです。
 根本的なこの教えを三法印と呼んでいます。

 ある時、お釈迦様は弟子にこう問いかけられました。
「おまえたちも、命の短く脆いことを理解していると思うがどうかね」すると弟子は答えました。「その通りです。若いから長生きするのではなく、年老いているから老い先短い訳でもありません。いつどこでどうなるか分からないのが命です。」そこでお釈迦様の感じられる命の短さとは、どれほどのものなのだろうと、疑問を起こしました。そして「お釈迦様がお感じになっている命の速さとは、どれくらいでございましょうか」と訊ねました。
 お釈迦様は4人の弓の名手のお話を教えて下さいました。
「4人の名手の内1人は東に、1人は南に、1人は西に、1人は北の彼方に的を定め、一斉に矢を放ったとしよう。名手の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛んで行くであろう。そこに足の速い男がいて、サッと走り出し、4人の名手が放った矢を次々捕らえたとしよう。」やや間を置いてお釈迦様はお話を続けられました。「それよりも、もっと速いのが人間の命なのだ。命は実に足が速い」とお答えになりました。このお話は、『ジャータカ物語』476 ハンサ鳥王物語の一部です。

 医学の進歩により人生100年時代になりました。しかし命は瞬く間かもしれません。だからこそ一日一日を大切にし、喜びと感謝の心を忘れず、万物は流転することを認識し、「永遠なるものを求めて、永遠なる努力を怠らない」生活に美を感じる方法を命の尊さとして教えてくださっています。

合 掌



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