至誠とは、きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。篤実で誠実な人を至誠の人といいます。
 一般には「しせい」と言い、佛教では「しじょう」と読み、どちらも共通して「誠実な心」「まごころ」という意味です。

 以前山口県萩の松陰神社を参拝しました。すると「至誠」と彫り込まれた碑を見付けました。中央にほのぼのとした中にも信念が貫かれた「至誠」の萩焼の碑でした。第一人者である十三代三輪休雪先生の萩焼で、上田俊成名誉宮司様の「至誠」の墨跡をそのまま萩焼にしたものです。
 この「至誠」の言葉は、まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるとの信念から、幕末の志士吉田松陰先生が大切にした信念です。

 「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」の一言は、「孟子」の「是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。」
 「是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、(誠をわが身に実現しようと思い、努力することは)人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者は有らざるなり。」の教えです。
 「孟子」(前372?~前289)は戦国時代の思想家で、言行や思想を弟子たちが纏めた書『離婁りろう 上十二章』に表されています。
 こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人に未だあったためしがない。誠を尽くせば、人は必ず心動かされるということで、「誠」とは天地万物に普く貫いているのが誠であり、天の道であり、この誠に背かないように勤めるのが人の道であるとの教えです。
 如何なる場合でもまごころをもって対峙すれば、互いが理解し合えるという事です。但しそのまごころは、一時的であってはいけません。誠実に生涯を貫くことです。

 しかし、どんなに誠意でもって頑張っても無理なことがあります。また無理を押し通そうとしても自らの思いに迷い、思わぬ損失に繋がることもあります。何事も人の意見に耳を傾け、慎重な行動をとることが肝要です。何事も急には達し難く、一層の誠意を持って継続する冷静な心こそ「まごころ」で至誠の心です。まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば長く勤めることが出来る、自分の力で無理にでも成し遂げようという「至誠」ではなく、大自然のはたらきそのものが私達を生かしてくれている大きな営みです。大いなるはたらきに身を任せて無理をせず続ける膨大な力が肝要です。

合 掌



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