『大般若波羅蜜多経』は、600 巻16部480万文字から成る大部の般若経典で、顕慶5年(660)正月1日から玉華宮にて翻訳を開始し、4年の歳月を掛け龍朔3年(663)10月23日完成しました。太宗皇帝は「大般若経は鎮国の妙典、人天の大寶なり。書写し読誦流布の功徳無量なり。各各踊躍欣慶すべし。合掌歓喜し給いき。」と大喜びされ、序文を著わされました。

 「大唐三蔵聖教序」は、玄奘三蔵の大般若経翻訳完成を讃える為、太宗皇帝が著わした序文です。王義之おうぎし(303~361)の筆跡の中から集字して刻された「集王聖教序しゅうおうしょうぎょうじょ」と、褚遂良ちょすいりょう書の「雁塔聖教序がんとうしょうぎょうじょ」があります。

 「集王聖教序」は、弘福寺ぐふくじの沙門懐仁えにんが、高宗皇帝の咸亨3年(672)12月勅命を受け、宮中に多く秘蔵されていた王義之の遺墨の中から文字を集めて高さ350㎝、幅113㎝の碑に30行1,904文字で刻したものです。本来、弘福寺内に建てられていましたが、現在は陝西省博物館(西安碑林)の第2室に移されています。

 また「雁塔聖教序」は、唐の褚遂良によって書かれたもので、永徽4年(653)の作です。西安大慈恩寺大雁塔南面の入り口の両側に黒大理石による2石が嵌め込んであり、向かって右側に太宗皇帝の撰文による「大唐三蔵聖教序」一行42文字21行、左側に高宗皇帝の撰文よる「大唐皇帝述三蔵聖教記」一行40文字20行と、玄奘三蔵が貞観23年(649)5月24日に翻訳した『般若心経』が加えられています。それぞれの末行の文によると、褚遂良は「序」を永徽4年10月に、「記」は永徽4年12月に書いています。大慈恩寺自体太宗皇帝が玄奘三蔵の為に建立した伽藍で、玄奘三蔵は永徽3年(652)この伽藍に大雁塔を建立し、請来した経典と翻訳した原本を祀る経塔(法舎利塔)の建造に着手し、2年で完成しました。この大雁塔の上層に石室を設け、印度から持ち帰った佛典が散逸しないように経塔(法舎利塔)としてお釈迦様の精神を祀り、その南面に「序」と「記」を褚遂良に書かせて顕彰しました。
 しかし、この塔は上部が崩れたため、長安年間(701~705)に修復して七層塔(高さ64m)に改修しました。現在拝むことの出来るのはこの塔です。

合 掌



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