煩悩に迷うことを「有漏うろ」といい、煩悩がない事を「無漏むろ」といいます。
」とは、さまざまな心の汚れを総称する言葉で「煩悩」の事です。煩悩とは、衆生の身心しんじんを煩わし悩ます一切の妄念、貪欲とんよく(限りの無い欲望)、瞋恚しんに(怒りの心)、愚痴ぐち(愚かさ)で、道理に欠け誤った行ないの原因となります。汚れや煩悩は日夜、六瘡門ろくそうもん(眼 耳 鼻 口 大小便道)から流れ出ると考えられているため「漏」と呼ばれます。

 「有漏」はサンスクリット語のサースラバ(sāsrava)を漢訳した言葉で、煩悩が自分の意志とはまったく無関係に、六瘡門や隙間から外に溢れ、こぼれ出して、汚れにまみれていることを言います。
 日常生活で、どうしたらいいのか判断できず動き回るさまを「ウロウロ」と表現しますが、この「ウロウロ」という言葉は佛教用語で、「えっ これも佛教からきた言葉 ! 」と驚かれるかも知れませんね。

 「無漏」とは「有漏」の対で、やはりサンスクリット語のアナースラバ(anāsrava)を漢訳した言葉です。漏れるものがないこと、不浄なものが尽きていて汚れがない、つまり煩悩や汚れが滅し尽された状態をいい、煩悩を振り払い悟りの境地に達した人のことです。
 更に言うと「有漏」「無漏」とは、煩悩のある人と煩悩の無い人のことです。

「心が有漏であれば不浄といい、佛心は無漏であるが故に大浄と名づく」と『涅槃経』に説かれています。
 「有漏有漏」として、無駄な時間を過ごさないようにしなければなりません

合 掌



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